高齢犬

 獣医さん曰く、「超高齢犬ではなく、超超高齢犬ですよ」そうか認識を新たにしなければならないと思ったのか、娘と妻が各々クリにこれはと思う漢方薬を飲ませているらしい。そう言えば時々二人とも誰の薬かと思うようなタイミングで漢方薬を量っている。目と耳の機能はもう仕方がないが、せめて元気に散歩をし、美味しく餌を食べ、良いウンチが出ればいいと思っているみたいだ。時々ぐらっとよろめくようなことがあるので、消化器系を強くして筋肉をしっかりさせるようなものを飲ませている。ヤマト薬局では多くの人に飲んでもらっている処方で、自然と強くなっていく。15歳の犬がどれくらいこれから体力を保ってくれるのか分からないが、見かけがとても綺麗に見えるから衰えを受け止めることが躊躇される飼い主側の不安も取り去ってくれたらいいと思っている。それと最善を尽くせば、喪失時の後悔をかなり少なくすることが出来る。人間の場合も同じだが、えてして人間以上に感情移入されているペットも多く、人間並みの介護をすることへの拘りはない。 数ヶ月見ぬ間に別人だった。色々なマイナーの科の処方箋を持ってきていたが大きな病気が隠れていたのだ。アレルギーがひどく、ちょっとしたトラブルは全部漢方薬で治していた。入院治療の負荷に身体が耐えられず(間質性肺炎)家族を集められたらしいが奇跡的に命を頂いたらしい。中心中の中心の治療はもうそれで出来なくなった。周辺部の治療だけしている。処方箋で周辺部の薬を作って渡したが、寂しさを感じ得なかった。今こそ手伝えることがあるのだが、それを勧めることは医薬分業という暗黙の紳士協定みたいなものを破ることになる。我が家のクリだって、あんなに手厚く世話をしてもらっているのに、ちょっと奥さんが僕に声をかけてくれたらと思いながら薬を渡した。今のままではただ衰えていく命を指をくわえてみているのと同じだ。現代医学は、病気を叩く力は偉大だが体力を補う力はほとんど無い。口内炎を一杯だして食事がとりにくいご主人に対して、もっと食べて体力を付けなければと素朴なことしか言えない奥さんにほんの少しの気付きを期待してあるサンプルを渡した。これが出来ることのぎりぎりだ。 と言う僕も、今朝から風邪か極度の倦怠感と戦いながら仕事をしているが、クリほどの同情はひけないみたいだ。私は犬になりたい。