現場

 何で惹かれるのか自分でも良く分からないのだが、湾岸警察という映画を再びテレビで見た。何年か前同じようにテレビで見ているのだが、自分では珍しく同じものを再び見るという行為に抵抗がないのだ。ウォーターボーイズの監督の一連の作品も同じように何度も見れる。どこにでもいる、いやどちらかと言えば劣っている部類に入る人達の成功物語が好きなのだろう。そこに嘗ての自分を投影しているのか、あるいは田舎で育つこの町の子供達を重ねているのか分からないが、力を合わせてやり遂げる物語が好きだ。映画ファンが好きな映画を何回でも見て味わいをその都度深めていくのと、おこがましいが似ているのかもしれない。 初めて見たときに印象に残った言葉がある。パトカーのマイクを握りながら織田裕二が「事件は現場で起きているんだ」と上司に向かって叫ぶ場面でのせりふだ。この言葉をそれ以来僕は多用した。過敏性腸症候群パニック障害の方に漢方薬を作るたびに、少しずつ現場を増やしていくようにお願いしたのだ。いくら体調を整え、気力を増しても、自分の部屋で治っているのでは意味がない。社会生活に支障が無くなるのが完治だと思っているから、自分が一番苦手な場所を克服しなければならない。だから僕の漢方薬を飲みながら少しずつ現場に出ていくことを勧めた。人それぞれにスピードは違うが、挑戦しながら完治を勝ち取った人も多い。治ったら何でもするのではなく、治しながら何でもしよう。これが僕たちの合い言葉だった。  前回見た時は恐らく聞き逃していたのだろう、いかりや長介織田裕二に小さな声で「被害者の身になって捜査しろ」と背中から声を掛けた。そのせりふを聞いたとき、被害者という言葉をすぐある言葉に置き換えた。年齢と共に自分でも多くの不調を抱えてきて、辛さを実感できるものは増えてきたのだが、さすがに全ての不調を経験できるものではない。若いときにはそれなりに元気だったから、想像は出来ても実感はなかった。今は実感を持って同情できるがさすがに全てのトラブルに対してではない。自分の不調を、頼ってきてくださる人の不調に重ね合わせて、自分の苦しみを解放するが如く精一杯の努力をしなければならない。その努力に少しの差があってはいけないのだ。そんなことを想いながら作者の意図を確かめていた。  主役だけが名言を吐くのではない。実社会も同じだ。踏みつぶされたアルミ缶からでも真実を突いた言葉は漏れてくる。