くわばらくわばら

 知らなくてもいいが、知っておくと少しだけ心が満たされた感覚に浸れる。別にそれが役に立たなくても、何かの得をもたらさなくてもいい。知識とはその様なものかもしれない。実利性がないからかもしれないが、僕の周辺知識はまるで貧弱で、ある分野だけに極端に偏ってしまっている。いや偏っているのではなく他の部分がほとんど抜け落ちていると言った方が正確だろう。 「くわばらくわばら」。何時を最後に口に出したのか定かではないが、必ず口にしている。記憶になくてもその事は断言できる。この語感は子供時代を思い起こす親しみがある懐かしい響きだ。  学問の神様として知られる菅原道真は政治的な謀略によって太宰府に左遷され悲嘆のうちに亡くなった。その後平安の都では疫病が流行し落雷や火災が相次いだことから、道真公の怨霊の祟りだと恐れられた。道真公の領地だった桑原だけが雷が落ちないという言い伝えが生まれ、それ以来人々は雷が鳴り出すと「桑原、桑原」と呪文を唱えるようになったらしい。時の天皇が、北野に霊廟を建て、天満大自在天としてその霊を慰めたのが現在の北野天満宮らしい。 漢方薬の情報誌を読んでいたらこんな文章を見つけた。息抜きに挿入してくれたのだろうが、この息抜きの方を寧ろ読みたくなるのが僕の常で、およそ学校で習ったことで記憶にあるのは、ちょっとした先生の人生論だったような気がする。でも恐らく先生方も萎縮していたのだろう、本当に人生を変えるような言葉をついぞ聞かなかった。大人の彼らは一杯語るべき言葉を持っていたに違いないのだが。  一つの言葉に隠された逸話にロマンも感じるが、結構簡単な発想で出来た言葉も多いのだと逆も詮索してしまう。今の女子高校生の言葉遊びも1000年の時を経てロマンを秘めた言葉に昇格しているかもしれない。  ところで僕は「くわばらくわばら」は吉本新喜劇桑原和男のことかと思っていた。