感度

 笑ってはいけないけれど、笑った。本人も笑っているし、もう5年以上毎週漢方薬を取りに来ている人だから、構わないだろう。5年間一杯雑談をしているが、この話は初めてだった。 魚釣りに行って、ウキを見ていたら酔ってしまったと言うから、当然僕は波が高かったのか凪いでいたのかを尋ねた。波はなかったと言うから余程船に弱い人だなと思ったら、何と岸壁から釣っていたと言うのだ。だから笑った。岸壁から竿で釣っていてただウキを見ていただけなのだそうだ。ウキが波で上下するのを見ていて酔ってしまったらしい。  当然乗り物はほとんどだめで、唯一いいのが自分で運転する車だけなのだそうだ。自分で運転すると酔わないのには救われたと、本当に有り難そうに言うから、余程だろう。時々極端に弱い人がいるけれど、ウキを見ていて酔った人に会ったのは初めてだ。そのせいかどうか分からないが、旅行などもほとんどした経験もないし、したがっているそぶりもない。その代わりと言っては何だが、とても物知りで、色々な媒体から知識を得ている。  三半規管の感度が良すぎるのだろうか、機能が良すぎても不便なものだ。何かに利用できればすごい才能なのだが、何にも使えないならハンディーになってしまう。肉体を運べないから情報を辿る。何かを補うために何かが発達するのも世の常だ。  心の感度も僕ら庶民はほどほどがいい。小説家や詩人、画家や音楽家ならいざ知らず、庶民にとっては時として重荷になってしまう。生産性がないなら、いっそのこと、封印して自分自身を解放した方が楽だ。ちょっとした親切、ちょっとした優しい言葉、ちょっとした微笑みや涙。せいぜいそのくらいが身の丈か。