僕の薬局は中学校の丁度裏門に接している。通りを挟んで南側に中学校が広がっている。天気が良ければ毎朝、裏門の重いレール式の大きな門を勝手に開けて侵入する。散歩コースの近道になるのだ。裏門を通り抜けるとまず広い駐車場があり、体育館が建っている。 数年前から毎朝早く、バレー部の女生徒がその体育館で練習をしている。二人の熱心な先生が赴任してきてから欠かすことなく行われていた。その甲斐あって、こんな僻地の小さな学校だが大きな実績を残すことが出来た。今では遠くの学校から練習試合に選手が集まるような光景も珍しくはなくなった。たった二人の先生の熱意がこんなに変化をもたらすのかと感心ばかりしていた。その二人が今春、偶然同時に転出していった。その後のバレー部をどうフォローするのか懸念していたが、同じように熱心な二人の先生が転入してきて、以前にも負けぬ指導をしている。  最近あることに気がついた。先生方は車でやってきて、スライド式の重い門の前で止まり、車を降りて門を開け、又乗り込み駐車場に向かうのだが、ここ何日かは門が開いているのだ。生徒達が登校する前に僕が門を開け侵入しているが、必ずその後は閉めている。ところが散歩の帰りに再び門の所までたどり着くと閉めていたはずの門が開いている。その理由が今日分かった。ある女子生徒がわざわざ門を開けていたのだ。恐らく7時前にやってくる先生のためだろう。それ以外にそこを利用する人はいないから。  以前からいちいち降りて門の開閉は大変だろうなと思っていた。女生徒が自発的にそれをやり始めたのか、先生の依頼か分からないが、どちらにしても良いことだなあと朝の空気のようにすがすがしさを感じていた。生徒が自発的に始めたのなら家庭か、先生や部員の勝利。先生の指示で始めたのなら先生と部員達の勝利。少しだけニュアンスは違うが、自発的でも教えられたにしても他者のための無償の行為は素晴らしい。なかなか教えられなければ出来ることではない。  およそこの僕などその様な経験はほとんど無い。何時の頃から出来るようになったのだろう。今でも出来るようになっているのかどうか分からないが、我欲は代償ばかりを求め、思い出すのが恥ずかしいような人生だ。裏門を毎朝先生のために開く女生徒は、光り溢れる人生の門も同時に開いている。