恋愛

 僕はいわゆる過敏性腸症候群が恋愛や結婚に何ら影響しないと思っている。むしろ大きな長所になるとも思っている。付き合う前に、過敏性腸症候群ですかと尋ねて、そうですと答えたらもうけものと思って付き合えばいい。彼ら彼女らは、本来的にとても繊細だ。繊細すぎて傷ついているだけで、何のハンディーもない。自分で自分を傷つけているが、他人を傷つけてはいない。人を出し抜いてならまだしも、人を傷つけてまで自分を正当化したり所有欲を満たす時代に、大通りを肩を怒らせて歩いている人より、アーケードの下を遠慮がちに歩いている人の方が余程親しみが沸く。自分の付き合っている人が、自信に溢れて他人に大きな態度をし、人を見下すようなことばかり言ったり行ったりしていると想像してみて欲しい。恥ずかしくて傍におれないだろう。謙遜を知らない人間ほど不愉快な存在はない。  彼ら彼女らには、謙遜は染みついていて身体の一部になっている。取り柄ではなく身体の一部になっているのだから、過敏性腸症候群が完治してもそれは変わらない。治ればすこぶる明るくはなるが、それで他人に高圧的になったりはしない。身体にしみこんでいるものは信用できる。  お腹が治ればなんて悠長な考えは持たない方がいい。売りはお腹なのだから、治らない現役の時がいい。昔はなんて言っても臨場感がない。もっとも自分らしい時をさらけ出して、ありのままの自分を評価してもらえばいい。お腹をもし問題にされれば幸運だと思えばいい。簡単に相手のレベルが測れたのだから。お腹の話題は検知管だと思えばいい。それも、ふるいにかけるかなり精巧なものと思えばいい。  数人を殺されたら千人以上も殺すあの国に、過敏性腸症候群なんて言葉はないだろう。日本で一人の子供がもし爆弾で肉片と化したら、どれだけの周りに人が悲嘆に暮れ生きる意味を失うだろう。同じ事が何百倍のケースで起こっているとしたら、あの国を許すことは出来ない。その国をかばい続ける国で指導者が替わる。罪なき多くの民衆を殺している国の指導者に何を期待するのだろうかと思う。弱き人に頭を下げることを知らない謙遜とはほど遠い、弱肉強食の国に。