会話

 バブルの頃には及ばないが、牛窓もさすがにリゾート地だけあって、この時期は観光客が沢山来る。旅の途中は楽しさの反面、強行軍のつけもあって体調を壊すことが間々ある。その中の運の悪い人がヤマト薬局を見つけて入ってくる。ほとんどの人がまずすることは、入ってすぐ右側にある木の棚を物色することだ。牛窓の人はそこには医療雑貨しかないことを知っているから、必要なときだけ自分で取る。しかし観光客はそこで自分が欲しい物がないことを確認すると初めて奥まで入ってくる。そこで又一時、正面の棚を物色する。またまたそこで自分が欲しい物がないときに初めて口を開く。たいていの場合、商品名を言うが、扱いが無いこともある。そこで僕はおもむろに症状を聞くようにしている。薬を選択する時にしなければならない問診を必ずする。その事が彼らには不思議なようで、戸惑う人も少なからずいる。現代は、ほとんどの人がドラッグストアで薬を買うから、会話が必要ない。だから僕と会話することに抵抗がある人がいる。でも僕は一向に構わない。矢継ぎ早に質問する。そして、出来ている薬ですめばそれを販売するし、漢方薬が適しているなら、漢方薬にする。その時にはもう僕の自由にさせてもらう。経済面以外は素人の介入する範囲ではない。調剤した薬で治ってもらわないといけないし、売った薬は効かなければならないからだ。この段階になると、つんとして無表情の旅行者もやっと人間らしい表情を取り戻す。どこかに置き忘れてきたのか、元々持っていないのか分からないが、人が人と接するときのせめてもの常識に気が付く。会話が無くても成り立つ社会がはびこってきて、便利さという錦の御旗のもとに多くの人間性を置き去りにしている。誰にとって都合がよいのか分からないが、その便利さで失うものが大きいのは、元々持てるものが少ない階級の人達のようだ。救いの知恵や好意を無意識のうちに拒否しているのだ。金や肩書きで多くのものを集めることが出来ない人達が、人の善意や誠意までガードしてしまう。  僕は絶対媚びはうらない。そんなことをしてまで経済活動をしたくない。不快な経済活動なんか山になっても、感動的な出会い一つにも勝てないから。