強者

 ある病院の医師は、沢山薬をくれることで有名だった。患者さんが多いから勿論腕もいいのだろう。その医師が開業したので、ある患者は付いていき、ある患者は残った。病院には若い医師がきて、開業した医師の跡を継いだ。若い医師の処方箋を持って患者さんが来る。同じ病気のはずなのにずいぶんと薬が減っている。半減した人もいる。あまりに減ったので中には大丈夫ですかと尋ねた患者もいるそうだが、大丈夫と請け負ってくれたという。  体重が40Kgない老人に、10種類以上の薬を飲ませて、肝臓や腎臓が持つはずがない。自覚症状を訴えれば訴えるほど薬をくれるらしいから、医療費がただだった経験のあるあの世代の人達は、貪欲に薬を所望する。それによって内臓が痛むことも知らずに。多くの人が老化と病気を勘違いして薬漬けになっている。  周辺の薬局が処方箋を受けて、懸念を抱いていた。集まりがあるときに、薬が多いことが話題には出るが、薬剤師に口を挟む権限はない。余程の飲み合わせの不都合でもあれば別だが、書物に出ていなければどうしようもない。薬剤師に患者さんの病気は分からないから、間違いの無いように調剤するだけだ。時には歯がゆい想いもするが、これが現実なのだ。大量に薬を飲む人が来なくなるから、正直ほっとしている。消極的に荷担しているような気がしていたから。  体調不良を自力で治すような強者が少なくなった様な気がする。何でも医療機関や薬に頼り、自然治癒力を導き出していない。もっとも、心の自然治癒力はもうとっくに放棄しているから、今更身体だけ自然に治せと言っても無理かもしれない。自然を破壊し追いやり、自然な人間同士の結びつきを忌避し、それで自然治癒力だなんてありえない。健全な風景の中に溶け込める人にはなかなか出会えない。