漢方薬

 出来たお嫁さんなのだろう。義父が毎晩痛い痛いとつらがって、鬱になっているから何とかならないでしょうかと相談に来た。1年半前トラクターで事故を起こし2ヶ月入院した後、夜になると痛がるのだそうだ。退院後、鎮痛薬やリハビリの治療を受けていたが、医師はもう治っているから、心療内科に行ってくれと言われ、今は心療内科と整形外科の両方を受診しているらしい。夜になると痛むというので僕は漢方薬でなおせれると思い、楽しみにして2週間分薬を渡した。案の定2週間を待たずに何と、本人がやってきた。それも隣の市から軽トラックを自分で運転して。86才と言うから、車の運転の方が心配だ。応対していて病院で3種類の安定剤を処方されているようには全く見えなかった。お嫁さんが言う鬱状態とも見えなかった。軍隊時代の話を含めてとても生き生きと会話をした。痛みのストレスから少し解放されるだけでここまで変われるのだろうか。それだけ痛みは人間にとって苦痛なのだ。僕も同類項だからそれは良く理解できる。その方が帰りがけに「いつ死んでやろうかと思っていた」と呟いた。そして「何で嫁がここのことを知ったんじゃろう」とも言った。何かの偶然が働いて僕がその方の薬を作ることになったのだろうが、漢方しかできない事もあるのだ。ほんの偶然の小さな出来事でしかないが、先人達の営々とした努力が底には隠れている。それなしに偶然なんか成立しない。漢方は突出したヒーローのおかげではなく、延々と繰り返された壮大な4000年に渡る人体実験の集積なのだ。言い換えれば無数の悲鳴で出来た処方なのだ。守らなければならないものは身の回りにいっぱいある。漢方薬もその中の一つだ。