最終章

 今日は母を里へ連れていった。里と言っても勿論両親なんているわけでもないが、義理の妹と、その子供たちの家族が住んでいる。県南には珍しく、山深いところで、谷あいを走る県道をクネクネと曲がって車を走らせる。僕はしばしば通る道なので気がつかなかったのだが、母がしきりに木がうっそうと生えていると言った。最初何気なく聞いていたのだが、そう言えば山は緑に覆われ、いや、県道の傍まで緑が覆い被さるようになり、嘗て畑や田んぼであったところが山に帰っていた。そして驚いたことには、数度の山火事で常に禿山の印象を持っていたところでさへ、大きな木が生えて、緑を十分蓄えていた。嘗て里へ預けられていた僕が幼い頃に見ていた風景に戻っていた。温暖化が叫ばれる折、緑が復活することは大変心強いが、裏を返せば、手のうちようがないくらい、人の手がないのだ。自然を管理できずに、言わば野放しなのだ。農業に専従し、結果的には治水に大変尽力してきた人達は、もう80才を越えている。団塊世代が第2の人生で農業に従事しても、知恵も経験もない。手付かずの自然と人工の狭間を支えてきた人達の、体を道具のように酷使してきた最終章が、山に帰る荒れ果てた田や畑では申し訳ない。