買い物袋

 あれは30年前の僕の後ろ姿か。いやいや彼には落ちてしまった人特有の閉ざされた孤高がある。  正月気分を引きずった地下街は、買い物袋の顔をした人々で溢れ、行きかう人は厚化粧の下に干上がったヘドロを隠していた。男はごみ箱から覗いた紙の手提げ袋に目をつけ、おもむろに近寄っていくと回りを気にすることもなく物色し始めた。ぼくはその男の顔は見られなかったが、体型からしてかなり若い。後ろ姿は自虐的な日々を過ごしていたあの頃の僕と似ているかもしれない。ただ、僕には実はどうでもよかったのだが、最終的には薬剤師と言う免許が手に入るだろうことは分かっていた。それをどう使うかまでは考えたこともなかったし、寧ろそれを使わない方法ばかり考えていた。その男にはおそらくその種の安全弁はないのだろう。すべての安全弁を使い果たしたからこそ、日中、往来の激しいところでごみ箱をあされるのだろう。  政治はこの種の人達に冷淡だ。選挙にも行かない人達だから救う必要もないのかもしれない。余りにも育ちがよすぎて、先生方には根っから理解できないのかもしれない。しかし、人間様がペットより貧しくて過酷な生活を強いられるのはどうだろう。1匹の犬を救うのに見せる庶民の優しさも、彼らには向かない。ほんの何かのいたずらで立場が入れ替わっているかもしれないのに、庶民に危機感はない。分かち合うものを多く持っている人達は、より沢山持とうとし、何も持ってはいない人は、臆病に遠慮しながら生きる。  男にこれから数10年善良に生きろとだれが言える。飼い犬よりも、飼い猫よりも貧しい人達に。