酒かす

 今日、母を里に連れていった。牛窓が海辺の田舎なら、母の実家がある集落は山の田舎だ。集落の上にお墓があり、実家に寄る前にお墓参りをすませた。お墓から坂道を降りていると、細い道の傍で老人が畑仕事をしていた。僕が「こんにちは」と挨拶をしたら、老人は挨拶を返してくれた後で「お墓に参って下さったんですか」と言われた。母がそうですと答えると、「○○さんのお墓ですか?」と続けた。名字は当っていたが、下の名前が異なっていた。母が、下の名前を言うと老人は「それなら○○さんの家の方ですか?」と僕のいとこの名前を言った。その老人と僕も母も全くの初対面だった。それなのに見ず知らずの人に、他人のお墓に「参って下さった」と表現した。僕はその表現に、遠く幼い日々の記憶を重ねた。  薬局をやっていた両親は、忙しくて5人の兄弟を世話するのも大変だったのだろう。僕は幼稚園にあがる前に、この集落にある母の里に預けられていた。祖父母と戦争未亡人のおばに育てられた。年のかなり離れた、いとこが一人いた。当時の農家には牛が飼われていて、鶏も何十羽といた。毎朝、ニワトリ小屋に入り、卵を集めた。浅い小川に入りめだかも追ったし、糸でかえるも釣った。幼い時のエピソードで今でもからかわれるのだが、一度行方不明になったらしい。みんなで探していたら、畑の畔で酔っ払って寝ていたそうだ。酒かすにお砂糖をつけて食べるのがおやつの時代、それに酔っ払ったらしい。記憶にはないが、何度も繰り返されるうちになんだか光景が浮かぶ。祖父が大工だったので、僕は木切れでよく遊んだらしい。やぎの乳に砂糖を入れて飲むのもご馳走だった。人工的なものはあまりない時代だったから、自然の中で、自然に暮らした。心優しい祖父母、伯母、そして近所の子供たち。善意に溢れた土地柄と時代だった。  現在の僕の善なるところは、ほとんどすべてその時代に培われたものだ。僕が努力して勝ち取ったものではなく、その土地柄に与えられたものだ。そして今の僕のほとんどを占めている善でないところは、青春期以降、僕が自分の吸引力で引き寄せたものだ。そしてそれは留まるところを知らずに膨張していっている。他家のお墓のことさえ知っている老人の、そして他家のお墓参りさえ喜んでくれる老人の純朴さに半世紀前の記憶を呼び起こされた。  母はその老人としばらく話していた。○○さんの娘が私で、こんなに、おばあさんですよと言っていた。