里山

 ひどいニキビの男子生徒が来たら、野球部かサッカー部を疑う。埃だらけ、汗だらけだから、ニキビも元気がいい。
 案の定彼に野球部?と尋ねたら当たっていた。と言うのは連れてきたお父さんが、かつて僕の作ったバレーボールの同好会で一緒に楽しんでいた嘗ての青年だったから。彼自身はとても良い体をしていて、高校時代野球で鍛えた体をまだ十分維持していて、僕なんか跳ね飛ばされそうだった。ただバレーボールは彼にとっては全くの別物らしくて、親ほどの年齢でひ弱な僕のほうがうまかった。年齢、性別、上手下手入り乱れて、とても楽しい25年間を過ごさせてもらった。
 蛙の子は蛙。1年に一度しか牛窓に帰ることが出来ないと言うから、ピンときた。「野球留学しているの?」するとそうだと答えた。となるとかなりの名門高校に違いない。冗談半分ではなく、かなり本気に近い辺りで「甲子園に行ったの?」と尋ねると「行きました」と答えた。
 なんだか最近こんな僻地の町でも頑張っている若者の話が耳に入る。かつては20年に一度くらい輩出する東大生くらいしかいなかったが、いまは活躍する土俵がずいぶん学業以外に広がり、むしろそちらの方が実利的だ。東大卒業後にこうなりましたと言うその後が見えない栄光より、分かりやすい活躍のほうが身近に感じることも理由だろう。
 人生を評価する価値観も大いに変わってきたのだと思う。受験勉強くらいしかすることがなかった僕らの青春よりはるかに楽しそうだ。山のあなたの空遠く幸い住むと人は言ってきたが、幸いはみんなが暮らす里山まで下りてきてくれている。

住宅ローン詐欺!銀行・マスコミ・政府が総ぐるみで日本国民を騙そうとしている。みずほ銀行社長の詭弁・・・俺は固定金利で借りると言いつつ、消費者には変動すすめる意味不明さ。安冨歩東大教授。一月万冊 - YouTube

備前市

 神宮か新宮かしらないが、親類の子がプロ野球の選手らしくて、一緒に写した写真を見せてくれた。体格の良い青年と一緒に写っていた女性は満面の笑みだ。もう20年くらい備前市からやって来るが、そんな話は初めて聞いた。
 プロ野球に全く興味がない僕だから失礼にもその選手の顔も名前も知らなかったから「2軍の選手?」と聞いてしまったが、なんと1軍で活躍しているらしい。とすれば大したもので、女性が自慢するのも当たり前だ。備前市には日本一の山本投手と言うのがいるが、そうしてみると人口数万人の小さな町に二人のプロ野球選手がいることになる。備前焼の町だから人間国宝はいるが、プロ野球選手が二人と言うのは大変な確率だ。
 僕より一回り近く上の女性にとって、何よりの日常のプレゼントでもある。彼のおかげであの年齢でプロ野球を観るきっかけづくりになっているのだから。僕の漢方薬より効きそうだ。
 最近色々な分野で岡山県人の活躍が伝えられる。晴れの国岡山で晴天続きの人生を送ることが出来る人たちが出てきている。本人の努力や幸運が重なっての活躍だろうが、曇天続き、土砂降り続きの人生を余儀なくされている人も多い。そうした人たちにせめてもの日差しが届いてくれればと思う。一人の幸運と100人の不幸が均衡しているのが今の時代だ。

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賽銭

 聞いていてめちゃくちゃ違和感があった。
 民放のニュースかワイドショーかわからないが、電子賽銭とやらのことを取り上げていた。神社で現金ではなく、ペイペイか何か知らないが、要はスマフォで賽銭を投げる?のだろう。いわゆるキャッシュレスだ。
 何一つ願いが神社仏閣でかなわなかった僕は、もはや賽銭は期待できないから実利をとってしないことにしている。ただし、人様の神様にすがる気持ちは痛いほどわかる。それで得られる安心感は計り知れないから。
 僕の違和感はある若者のインタビューに対する回答だ。「小銭を持つのはめんどくさい」と答えた男性の小銭にひっかかった。彼の小銭がいくら位をイメージしているのかわからないが、その瞬間、僕は小銭のために働き続けてきたんだよなと思ったのだ。僕だけではなく、ほとんどの庶民は、その小銭のために働き、コツコツと貯金し、逆に小銭と言えども節約し、何とか生き延びてきているのだと思ったのだ。
 普通の庶民にとっては、小銭は決して面倒くさいものではなく、生活の原点みたいな位置づけだ。10円落とせば拾い、10円見つければ拾うのだ。
 僕の違和感は、賽銭を電子マネーで払うことではなく、小銭を蔑視したように切り捨てた、決して裕福ではない世代の言葉だった。


医師が見た「死ぬ直前」に起こること…人はこうして死んでゆく 穏やかな最期のために
死は誰にでも平等にやってくるが、一度しか経験できない。そのため、多くの人が納得のいく形で亡くなることができていない。「下手な死」を避け、「上手な最期」を迎えるためには何が必要なのか。
チューブだらけの最期
死ぬ時は眠るように、穏やかに逝きたい—。苦しみながら死んでいくのはごめんだと、誰しも考えているはずだ。
だが、2020年に公開された人口動態統計を見ると、日本人の71・3%が病院で息を引き取っていることがわかる。これは多くの人が死の間際まで延命治療を受けながら、苦痛とともに亡くなっていくことを意味している。医師で小説家の久坂部羊氏が自らの経験を語る。
「40年ほど前、駆け出しの外科医だった私は総胆管結石を患った70代の女性の手術を担当しました。しかし、彼女は手術後に原因不明のけいれんを起こし、肺炎も併発してしまったのです」
この人を死なせるわけにはいかない。久坂部氏は患者に人工呼吸器をつけ、ステロイドや強心剤の投与を繰り返した。だが容態は悪化し、全身に出血傾向が出て多臓器不全にまで陥った。
「この段階でも私は治療を諦めきれず、それまでの治療に加え、輸血も開始しました。女性はすでに意識がなく、手足は浮腫のためどんどん膨らんでいきます。下血もひどく、輸血した血がそのまま出てきてしまうような状況でしたが、強心剤と人工呼吸器のせいで心臓は止まりません。
生きたまま身体が腐っていくような状態が続いたのち、彼女は亡くなりました。患者を救おうと思って行った治療が、患者だけでなく家族にも不安と絶望を与えてしまったのです」(久坂部氏)
この70代の女性は、決して特殊な例ではない。病院で亡くなる場合は、多くの人が人工呼吸器や透析器につながれ、「無理やり生かされた状態」を経て命を終える。
最期の瞬間まで延命治療が続けられる現代では、自然の流れに逆らわず、植物が静かに枯れていくような「きれいな死に方」を実現することは困難になっている。
そもそも人間の死とは「呼吸停止」「心停止」「瞳孔の散大」の3つの条件が揃った時に初めて認められる。これらは何の兆候もなく、突然起こるわけではない。
「事故などによる突然死でない限り、老衰死も病死も昏睡状態に陥ることから始まります。こうなると間もなく下顎を突き出し、口をパクパクと開け閉めしてあえぐように息をする下顎呼吸が始まるのです。
下顎呼吸は呼吸中枢の機能が低下すると発生し、数分から1時間程度で終わり、死に至ります。これが始まった時点でいくら蘇生を試みても、その人が回復することはありえません」(久坂部氏)
つまり、本来であれば下顎呼吸が始まった時点で抗うのはやめ、穏やかに見守るべきなのだ。
だが、家族や身近な人に死を目前にした衰弱や昏睡、まして下顎呼吸が始まれば、周囲は取り乱し、少しでも苦しみを軽減させたいと無理な延命治療を選択してしまう。これが死の苦しみを却って増幅させ、苦痛とともに亡くなっていく「下手な死」へとつながる。
延命治療はそのほとんどが家族の希望によってなされている。とすれば、あなたが「上手な最期」を迎えるためには、「死に方の予習」をし、家族ともその知識を共有しておくことが、もっとも重要なのである。
赤ん坊に戻ってゆくだけ
では、「下手な死」を避け、肉体的にも精神的にも苦痛の少ない「上手な最期」を迎えるにはどうすればいいのだろうか。久坂部氏が語る。
「余計な苦痛を感じずに亡くなるには、死期を迎えた時にはもう何もしないことです。そのためには、病院ではなく家で亡くなることが一番の方法だと思います。
病院に行けば命が助かるというのは、幻想にすぎません。死の間際の点滴は血液を薄め、内臓に負担をかけるだけですし、酸素マスクもただ呼吸の邪魔をするだけです。穏やかな最期を迎えるには、いかに医療から離れるかが重要になるのです」
在宅医としてこれまでに3000人もの患者を看取った、めぐみ在宅クリニック院長の小澤竹俊氏が、死が近づくと身体に起こる自然な変化について解説する。
「死が近づいてくると、今までできたことが徐々にできなくなっていきます。私はこれを『生まれたばかりの赤ん坊に戻る』と説明しています。がんや認知症、老衰などによってその速度は変わりますが、おおむね共通した傾向が表れるのです。
まずは硬いものが食べられなくなり、食事の量が減っていきます。体力の低下に伴って歩ける距離も短くなります」
やがて外出が難しくなり、家の中でも介助なしには移動が困難になる。お風呂やトイレも人の手助けなしには済ませられなくなるのだ。この頃には固形物は口にできなくなり、ほとんど水分だけで過ごす毎日が始まる。
体が弱っていくと、目を閉じて眠る時間が増え、この状態が続くといつ昏睡が起きてもおかしくなくなる。
認知症や老衰の場合、昏睡に陥るまでの時間は、硬いものが食べられなくなり衰弱し始めてから数年ほどかかるが、末期のがんなどの場合は、食事が満足に摂れないようになってから1ヵ月半ほどで昏睡に陥る。
死期が近づくにつれ、痩せ細っていく様子を見て不安がる家族も多いが、これは誰にも起こる自然な現象なのだ。
故人が満足に死を迎えられたかどうかは誰にもわからない。ただ宣告を受け死を受け入れるまでの準備として、どんな段階があるのかは知っておいても損はない。

 

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憤慨

 見るに堪えれないと憤慨するよりも、見なければストレスがかからないから、元旦に届いた新聞で三が日のテレビ番組をチェックした。案の定見たい番組は一つもなく、結局大晦日に録画しておいた第九を時々再生して見ていた?聴いていた?もうテレビはニュースだけでいいと思う。もっとも「犬あっち行けい」は、痔見ん党ばかり肩入れするから、ニュースそのものも信用できないが。
 番組欄を見ていて、馬鹿のオンパレードで、本当にこの国の人達は、こんな小学生が発想したような番組を喜んでみているのだろうかと、不思議でならない。ましてそこに出てくる馬鹿でも、庶民がとても手にすることが出来ないような収入を得ていると言うから、アホらしくて見てなんかおれない。
 そんな奴らに払う金があったら、もっとまっとうな人を出して、その人たちに支払うか、物価高であえぐ人達や寒空で凍えている人たちに配れよ。あんなバカみたいな番組を作るために資源を浪費するな。
 テレビで流されるコマーシャルで物を買う衝動にかられたこともないから、企業も無駄金を払っているものだ。もっとももっと壮大な目的があってのことだったら、馬鹿番組に金を出す説明はつく。国民を白痴にして、自分たちがやりたい放題できる環境づくりへの投資だとしたら。
 ちなみに今日貼り付けるユーチューブはわずか数分で幸せにしてくれる。思わず吹き出し、1日の緊張から解放してくれる。これこそプロフェッショナル。

 

Just For Laughs Gags - YouTube

 

 

乱心

 今日は落ち葉を集め焼くことを繰り返した。飽くと家に帰り、少しばかり勉強したり、注文の漢方薬を作ったりした。
 日差しは結構暖かかったが、風が意外と強かったので、焼却機から目を離さないようにしていた。煙突からと下部の空気孔から煙が出るが、風向きが急に変わることが多くて、焼却機の周りを逃げ回っていた。
 風は当然目に見えないが、煙が風に色を付けてくれるから、風の吹き方がよくわかる。逃げ回らなければならないほど風は絶えず向きを変えている。四方数十メートルには何もない状況を作れる場所を焼却機の置き場にしているが、それでも東と北は山だから、乾燥したこの季節は積もった落ち葉に気を遣う。
 「風が舞うのがよくわかる」と科学の実験でもしているような気分になったが、頭に浮かんだ「風が舞う」と言う表現が正しいのかどうか自信がなかった。
 僕には風は向きを変えて吹いてくるから、確かに舞っているのだが国語的に正しいのかどうかわからない。そこで家に戻ってインターネットで調べてみると、風が舞うのは「つむじ風」のことみたいで、僕の舞うとは異なる。となると僕の意味する風は「舞ってはいない」。ただ乱心気味だっただけみたいだ。しかし「風が舞う」と言う表現は美しいから、僕が今日感じたような時でも使えるようにハードルを下げてほしい。

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肩透かし

 知らなかったのは僕だけ?まさかそんなことはないだろう。いくら僕が機械音痴でも、それが下の下と言うほどでもあるまい。
 何年前から使っているのか定かではないが、意外とエアコンって壊れやすい。もうだめになるのと驚くこと数回。今回は本体より先にリモコンが壊れてしまった。
 まず第一に、気が付いたこと。これは偶然気が付いたのだが、2個あるエアコンはどちらもパナソニックのもので、ある時リモコンが見つからなかったので、試みに片方のリモコンでやってみたら、なんと使えたのだ。まったく完璧に機能した。見かけは違うのに、期待した操作はすべてできた。なんだ、会社が同じだったら、リモコンも同じかと言う、今思えばすぐ納得できるようなことに初めて気が付いた。
 その次に気が付いたこと。2年くらい一つのリモコンを使いまわしにしていたが、さすがに不便だ。そこでひょっとしたら、リモコンのスペアって売っているのではないかと考えた。そこで実物を持ってKsデンキに行くと、案の定売っていた。それもパナソニックが作っているものと、パナソニックもどきのものの2種類あった。僕はエアコンが使えればいいので「もどき」の方を買った。3000円を切る値段だった。
 今度の件で思ったこと。さすがに世の中至れり尽くせりで、何とかなるもの。こんなものがあったらいいな、こんなことが出来たらいいなと言うニーズは、結構具現化されている。2000数百円で、便利を買うことが出来た。我が家みたいにリモコンを失くしたり壊したりするお家が多いのだろう。替えのリモコンを商品化することで利益を上げることが出来るのだから。
 無理な話なら仕方ないと思いながらも家電量販店に相談しいたのだが、いとも簡単に解決した。あまりにもあっけない解決に満足はしているが、肩透かしを食らった気分だ。

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録画

 今NHKEテレの第九を聴いて、薬局に降りてきた。税理士の先生に頂いた中古の大きなテレビだから、迫力があり、なんだかコンサートに行っているような臨場感があった。素人にもわかるオーケストラと合唱団の上手さだ。うまいから感動、旨くないから失望、そんなレベルではなく、すべてのコンサートに満足させられるのは、やはり第九おたくのせいか、ベートーベンの偉大性のおかげか。どちらにしろ、この曲を聴いて、すぐにでも働きたくなるのは僕だけだろうか。少なくとも僕はこの曲を聴いて、安らかな気持ちになり時間をゆっくり使い、心身ともに休めようとは思わない。むしろ働きたくなり、まだ3日も休みが残っていることに気持ちが重くなったりする。
 とはいえ今日は6人のベトナム人の力を借りて墓をきれいにしてきた。春から掃除をしていないので、山の中腹にある墓は、草が生え放題で、訪れた時にはこれが綺麗になるのかと思われるほどだったが、全員お百姓の経験者ばかりだから2時間でとてもきれいにしてくれた。落ち葉を集めたごみ袋は12個になり、枯れ枝を束ねたものも2つ出来た。
 この作業のお礼に牡蠣を焼いて食べてもらおうと、朝、備前の朝市に行き、牡蠣殻付を一斗缶で買って来た。作業が終わりドッグランに帰ってきておもむろにバーべキューの用意をしてみんなで焼いて食べた。牡蠣殻付を焼いて食べた経験がなかったので、みんなとても喜んでくれてまるで子供のようにはしゃいでいた。他人のお墓を喜んで掃除してくれる人がこの国にいるのだろうか。ごくごく普通にこなしてくれる彼女たちにどれだけのお礼をすべきかいつも悩む。ひょっとしたら考えられないくらいのことをしてもらっているのではと思うのだ。
 ここからはついでだが、昨日メールである女性に、ひょっとしたら今一番岡山県で有名な若い男優にお墓で会えるかもしれないと冗談を言っていた。ところが今日ベトナム人と掃除をしていると、隣の墓に彼以外の家族がお墓掃除にやってきた。僕は不遜にもきれいに手入れされた墓地に勝手に掃除道具などを置かせてもらっていた。だから家族が来た時にはすぐに謝ったが、向こうが箒を忘れたと言っていたので、僕が持っていた箒を使って貰った。お母さんは牛窓の人だが、世代が違うからあまり見たこともなかったが、整った顔をしていて、こういった顔を男の子が受け継ぐとテレビで見るような顔になるのかと思った。
 この正月中にやっておかなければならないことを紙に書きだしていたが、もう8割がた済ませた。何もしないことに慣れていないので、明日からが憂鬱だ。多分録画に成功しただろう第九を、何回も聴いて、あふれる涙をぬぐおうか。

 

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