想像の産物

 貴女はもともと元気な方ですから、そして今日もまさに元気を象徴するような行動を報告していただいたので、
お作りしている処方が今のところベストだと思えます。
ただ、青春期特有の自意識過剰で、繊細さがわが身に向かってきています。
緊張状態になると、体中が過度に反応してしまって、である不快症状が何か実際に起こっているかのごとく恐怖感に襲われます。
緊張すれば閉じるのが動物の常ですから、あなたが心配していることはより起こりにくいのですが、
人は空想を膨らませ自分に不利になるような結論付けを行なってしまいます。
まさにこれが青春の落とし穴で、誰もがそれぞれ固有の不快な状態に陥ってしまいがちです。
貴女もこの不快さから脱出した暁には、今まで以上に人様のお役に立てる人物になっているでしょう。
一見不幸な体験でしょうが、一生を通して眺めてみればとても貴重で、これからのあなたの人生をより深いものにしてくれる可能性が高いです。
パターンは違いますが、50年前に同じような青春の落とし穴に落ちた先輩の僕からの助言です。
ヤマト薬局

茶番

 名前についていけないから何が正しいのかよくわからないが、要は、郵便局の人間が詐欺をしたってことだろう。
ニュースに登場する被害者は老人が多いから、国家公務員総出のオレオレ詐欺だ。もっともこの国は、汚部が筆頭で嘘つきまくりで罪逃げまくりだから、郵便局の人間が詐欺をしたって驚かない。どうせ組織で逃げまくり個人は出てこないのだから捕まらない。
 もう随分前だが、いつの頃からか、郵便局員が見知らぬ人ばかりになった。その頃から郵便局との付き合いが終わった。それまでは全員と言っていいほど地元の人だったから、言われるがままに貯金をしたり保険に入ったりしていた。結構なお得意だったと思う。彼らも仕事か遊びか判らないような訪ね方をして、結構長い時間薬局にとどまり世間話をした。当時言われるままに入った年金で、今は結構助かっているし、教育費で急にお金が要るときにもとても助かった。結構言うがままで助けられている。彼らにも好都合だったのだろうが、僕の家族も彼らにとても救われた。今問題を起こしているようなことは起こりようが無かった。顔見知りの人ばかりだったから。
 公務員があたかもごくつぶしのように、「濃い罪」が人数を減らした。そのせいでいイギリスやアメリカの半分くらいしか公務員がいなくなった。人が嫌がることとか中立性を担保しなければならないところが彼らによって守られていたが、堤防は崩れてしまった。美味しい果実は痔見ん党の後ろ盾の経団連に譲り、割は国民に食わせる。いつまでこの茶番を庶民は耐えるのだろう。
 

接近

 参議院選挙の前に汚部がよせ本の舞台に出たり、よせ本の芸人が官邸を訪問したりしているのがテレビで放映されているのを見て、気持ち悪いなと思っていた。案の定、よせ本の芸人達が好ましからざる団体と通じていたというスクープが流れた。うすうす、よせ本は、そうしたことが週刊誌で暴露されることが分かっていたのではないか。だからもみ消し大得意の汚部に接近したのではないか。
 資本家そのもの、あるいは資本家の手先みたいなアホコミが、露骨に汚部に接近したから、テレビのスイッチを入れることが少なくなってきた。どこのチャンネルを入れても気持ち悪い人間が映る。貧乏人が、1日分で自分の年収を稼ぐやつらのファンだったり、応援者だったりする。逆だろう、有り余る金で底辺でもがき苦しんでいる人間を助けるのが、国の税制だろうが、今やこの国も、貧乏人から税金を取り、それを大企業の減税の穴埋めに使う。貧乏人がますます貧乏になり、金持ちがますます金を溜めれる。警察も検察も、貧乏人しか捕まえない。面白いことだ、自分達だってどちらかと言うと貧乏人よりだろう。どこまで汚い低レベルの人間達に従うのだ。

頭数

 苦手か縁が無いのか嫌いなのか分からないが、お金持ちとは大きな壁がある。高くてなかなか越えられない。どこから見てもそのような方が最近来ている。お金があっても病院で治らないものは治らない。
 2週間であるトラブルが改善したから、次の病気も依頼された。なかなか上品で礼儀正しい。感心していると、娘が「お金持ちはいい人が多い」と言った。僕はその言葉が意外だった。先週末、珍しく話しかけてきたと思ったら、選挙でれいわ新撰組を応援しているという内容だった。そんな娘がお金持ちに対してすこぶる好意的な発言をしたからだ。僕は逆の印象を持っていて、高慢が鼻につくことが多かった。最近来る様になった人は、僕などなかなか遭遇しないだろうレベルのお金持ちで、ある線を越えると金持ちでも謙虚とか、礼儀などが身についているのかと思わせる。努力で築き上げてきた人は、運や腕力や野心で這い上がってきた人とは違うのだろうか。
 企業に莫大な金をプールさせるために汚部を始めとする痔見ん党は、貧乏人から消費税を取る。金持ちのための政治をするのだからやつらにとっては物言わぬ庶民は好都合だ。首を絞められている指がだんだん締まっているのにそれが分からないお人よしは、買うものも諦めてひたすら閉じこもる。国に守られている階層と、飼いならされてその階層に奉仕する階層に分かれた。なんら政治的な声を上げないのだからやりたい放題をされて、何のために生まれてきたのだろうかと哀れみをかけられるような人生を送る。もはや国は、彼らを含めた国ではなく、持てる人間達のためのものなのだ。
 薬局の中で好感が持てるその人に罪は無く、むしろ娘などには好感を抱かれているが、僕にはその人の足元で横たわる多くの庶民の姿が見える。その人になんら落ち度は無く、その努力をたたえなければならないが、政治屋にとって頭数には入っていない庶民の哀れを思ってしまう。

ドライブスルー公衆電話

 皆さんも今日のインターネットの記事で「ドライブスルー公衆電話」なるものの存在を初めて知ったのではないか。当然僕も初耳だ。いまや全国で2台しかないというのだから、宝くじ並みの確率でしか遭遇できない。知らないのは当たり前だけど、知ったばかりに残念な気持ちがわいてくる。惜しむのではない。どんどん公衆電話が減って、最も被害を受けている僕だから、そんな便利なものがあって、利用できないまま絶滅危惧種になったことが残念なのだ。雨にも濡れず、電話ボックスのサウナ状態からも逃れることができる優れものなのに、携帯電話に取って代わられたらしい。ただ携帯電話を持っていない僕は取って代わりようがない。必要な時はひたすら車を走らせ続けて、市町村をまたがることもある。もっとも、そんなに緊急の電話が必要な生活を送ってはいないので、2つや3つの市町村をまたがってもいいが、もし、あそこに行けば車から降りることなく、駐車禁止を気にすることなく電話が使えるとなると嬉しい。
 誰かが考えた便利が誰かが考えた便利によって消される。もてはやされるのもほんの一時か。

甘党

 砂糖入り飲料の消費は、全がんおよび乳がんのリスクを増加させ、100%果物ジュースも全がんのリスクと関連することが、フランス・パリ第13大学のEloi Chazelas氏らの調査で明らかとなった。砂糖入り飲料の消費は最近10年で世界的に増加しているという。砂糖入り飲料と肥満リスクには明確な関連が認められ、肥満は多くのがんの強力なリスク因子とされる。

 甘党の僕には好ましくない情報ばかりが出てくるが、これらを読んで、では甘いものを控えようとは思わない。何とか抜け道を探すが、その抜け道が正しいのかどうかは、将来の自分が証明するしかないから、いわば危ない道だ。残された時間があまりにも短いから、「思いっきり食べておけばよかった」と後悔どころか居直ってしまいそうな自分がいる。
 最近思うことがある。人生でどこにピークを持っていくのが幸せなのだろうかと。体力が充実した青年期か、体力的には少し落ちてくるが気力知力が充実した壮年期か、経済的にも余裕があり時間も自由に使える老年期か?才能や環境に恵まれた人たちはそれぞれのピークが必然でやってくるが、僕ら凡人にも、せめてどこかにピークらしきがあってもいい。「あの頃はよかったと言える時期があってもいい。
 

 

収穫

 瓢箪から駒?何でも頼まれればやってあげるものだ。
 瀬戸内の海岸線で育ち暮らしているから、北へ向かうのには若干の抵抗がある。山が険しい。川沿いの転落しそうな道を通る。がけ崩れをしそうな切り立った崖の下を通るなどなどだ。特に近道をした時などに、その懸念が現実になりやすい。
 今日の吉備中央町へのドライブもその懸念があった。グーグルの地図で前もって調べたのだが、途中の山深いところで何度も道が消える。いったい消えた部分はどのようになっているのだろうと思いながら意を決して今日はその道を選択した。案の定、いたるところで大木が頭上に覆いかぶさり、道路を地図から消した犯人だと分かる。運よく今日は小雨ですんだから、恐怖心を抱くことなく曲がりくねった道を進んだが、帰国にあたり、吉備中央町の寮に住む友人を訪ねたいと希望したベトナム人達を車に酔わすことはできないから、いつも以上にゆっくり運転した。
 そしてある場所に来たときに、一人の女性が歓喜の声を上げた。2度目の来日の彼女はかつて吉備中央町の会社で働いていたのだが、当時まさにその場所に自転車で2時間かけてやってきていたらしい。車を止めて降りてみると川に赤い橋が架かっていて、その下を勢いよく水が流れていた。看板が目に付きそこが宇甘渓であることを知った。名前だけは紅葉の名所として知っていたが、ここがかの有名な紅葉スポットかと、ちょっと得した気分になった。別に紅葉を見て感動する僕ではないが、紅葉を見て感動するベトナム人を見て感動するから、道中を含めて知識をインプットした収穫は大きい。確かにこの風景が紅葉したらと期待させるだけのものはあった。
 もし自分の体調を優先して断っていたら、もし安全な道を選んでいたら、今日の想定外の収穫はない。ただ喜んでもらえれば嬉しい、そんな単純な動機が、時に大きな気づきや感動をもたらしてくれる。だからやめれない。だからやめない。