甲羅

 息子が車を貸してくれなくなった頃からだから、もう数年前に「バスでも買おうか」と冗談で言ったことがある。それが形を変えて現実になろうとしている。
 一昨年からベトナム人をスキーに連れて行っているが、なにぶん僕の車では一度に4人しか乗せてあげれないから、去年は2週続けて雲辺寺に行った。四国だから普通のタイヤで麓まで行けるからそれは僕には抵抗はないのだが、最近の仕事の忙しさでそれをやってしまえば薬局業務が滞ってしまう。まして今年は希望者が8人では納まらなくて、いったい何度通えば希望に添えるのかと言うくらいになった。そこで思いついたのがバスを借りてスキーに行くと言う手だ。バスを借りるなんて大げさだから費用が心配になったが、時々商工会でバス旅行を計画するのを知っていたから尋ねてみると、思ったほどはしなかった。それと運のいいことに、商工会の旅行で運転を買って出てくれる布団屋のご主人を紹介してくれた。そこで彼に計画を打ち明けると、大いに賛同してくれて、話がとんとん拍子で進んで、僕はただ、費用を捻出するだけで済むことになった。世話好きの彼が全部手配してくれたのだ。僕はその日の朝車に乗り込み、その日の夕方車から降りればいいだけだ。天気がよければ蒜山に連れて行ってくれるらしいが、意外と近いのにも驚いた。瀬戸内沿岸の人間にとって中国山地へ行くのは、秘境に行くようなもので腰が重いのだが、2時間で行けるのには驚いた。高速道路が完備しているらしく、中学校の旅行で鳥取砂丘を見に行った記憶から抜けられない僕には驚きだった。
 ついでに彼から聞いた面白くて参考になる話。
 以前にも書いたが、僕が人生で遣り残したことは和太鼓とオートバイ。彼は大型免許も持っているがもっぱらはオートバイで色々な所に発作的に出かけることが趣味らしい。そんな武勇伝ではなく、彼が教えてくれたのは、2度死にそうになったことだ。一度は亀を轢いたとき。もう一度は、猪が体当たりしてきたときらしい。猪は分かるが、亀を轢いたときにもハンドルをとられ、辛うじて転倒を免れたらしい。80km近いスピードで走っていたときだから、亀の甲羅の固さでも命取りになるらしい。「亀の甲羅って硬いんよ」と笑いながら教えてくれたがスリップするほど硬いとは素人には思えなかったから衝撃的だった。僕が遣り残したことも、大いに危険と隣りあわせなのだ。子育て中は絶対乗ってはいけないと言い聞かせていたのは正解だったのだろう。「和太鼓は危なくないから、やりゃあええが」と言ってくれたが、あれはあれで格闘技くらい筋肉を要求される。
 やりたいこともなく大人になり、苦手なことで生計を立て、その挙句、後悔もない。人生は力んで生きるほどの価値はないと、今なら自信を持って言える。

仕草

 僕は、来日したてのベトナム人に必ず、日本に来た理由を尋ねる。僕に出来ることなら、それらをかなえられるように手助けする。今まで多くの僕に対する希望を聞いてきたが、東京に行きたい、富士山を見たい以外には恐らく応えられたと思う。
 希望を尋ねた中のおよそ6割から7割くらいが、親指と人差し指をすり合わせるようなしぐさをする。当初何の意味か分からなかったが、通訳がお金のことだと教えてくれた。日本人だったら親指と人指し指で輪を作り胸の前に立てるのが一般的な表現だが、彼女たちは、お札を数える仕草を真似る。日本人が硬貨を意味する仕草をするのに比べれば向こうのほうが欲深い。
 日本人だったら初対面の人に望を聞かれて「お金」と答える人はかなり少ないと思う。実際にそれを目的としていても口に出すのははばかれる。品位を疑われかねないことを知っているから。ところが彼女たちはなんら躊躇いがない。僕がいかにも驚いた顔をするとさすがに気がつくのか、恥じらいを見せるが、直球の返事にはしばしば違和感を持ち続けてきた。
 ところが昨夜寮に行ったときにその答えを見つけることが出来た。おそらく10数年疑問に思い続けていたが、やっと痞えが取れた。そのおかげで、またその理由のおかげで、今までの接し方に間違いがなかったことを知った。
 ベトナムでは、多くの人が45歳で勤めを辞めるのだそうだ。定年だと思うがそこは通訳がまだ未熟で定かではない。とにかく45歳まで働いて、後は孫の世話をするらしい。となると勢い稼ぎは若者にかかっている。若い人が都市部に出て働き、両親、あるいは祖父母に仕送りをするのが普通のパターンなのだ。日本とは逆だ。日本ではいつまでも働き、わが子のためにお金を使う。それが仮に50歳、60歳の子供でも同じだ。ベトナムでは親や祖父母を尊敬し大切にするが、日本では子供のほうがえらそうにしている。
 まるで反対のパターンを僕は行ったり来たりしている事になる。家にいると子供優先の日本人の生活をし、寮を訪ねれば親中心の接遇を受ける。とても大切にされる。ベトナムの親はこんなに幸せなのかと羨ましくなるくらいだ。日本では経験できないくらい大切にされる。彼女らにとって日本のお父さんも、実のお父さんもあまり変わらないのだと思う。
 日本に来たばかりの女性が、8面円の給料をもらい、4万円仕送りする場面に出くわしたことがある。まだ来たばかりで残業が少なく給料も少ないにもかかわらず半分を送っていた。生活費を残して残りを送るのだろうが、その中から日本で芸術や文化財に触れる旅行に当てるお金はあまりないはずだ。そこだけに焦点を当ててお世話をしてきたが、ただひたすら働いて帰るだけではあまりにももったいない青春(日本)時代を、少しでも豊かにしてあげたい。
 親指と人差し指をこする仕草に、意志の強さをみる。

烙印

 漠然としか聞いていなかったから詳細は分からないが、いやまだ詳しくはわかっていないのだろう、母親が逮捕されたことだけがニュースで伝えられていた。なんでも生後間もない赤ちゃんにミルクを与えないで衰弱死させたと言うのだ。理由はミルクを買うお金がなかったからだと言う。上に3人のお子さんがいたみたいだが夫はいないみたいで、実の父親と同居していたみたいだ。
 もし家庭が豊か、いや並みの経済力さえあればこうした悲劇は当然防ぐことが出来て、母親が犯罪者の烙印を押される羽目にはなっていなかっただろう。こうした貧困こそが原因の悲劇は結構起こっていて、単に「悪者」が逮捕させるだけで真相は伝えられない。子供をおいて働くことも出来ないから、貧困に陥るのはなかなか避けられない。助けを求めた人に経済力がなければ、脱出は難しい。公共の力を借りればいいのだろうが、知識がなければ接触することも思いつかないのではないか。
 結婚も出産もほぼ博打だ。いい目が出るか悪い目が出るか、分からない。どちらも将来の保証にはならない。むしろいつそれが牙をむくか分からない。現代はそうしたリスクとして考えなければならない時代だ。今日手にしているものが明日は崩壊して瓦礫だけが残る。そんな危険と毎日が隣り合わせなのだ。
 子沢山の若い母親の逮捕のニュースを聞いて、堕ち行く国の行く末を見る。一握りの成金が世を謳歌し、大多数の「並み以下」が自爆で滅んでいる国の姿。石のひとつも投げないで朽ちていく哀れな姿。

故障

 年末に超機械音痴の僕が2つの機器の故障に度肝を抜かれた。同時ではなかったのが救いだったが、そのことで考えたことがある。
 どちらの機械の故障も僕の仕事にとっては結構致命的なのだが、片一方は根性で直し、片一方は代替品を格安で買うことができた。どちらもよい経験ではないが考えさせられることもあった。年末の超忙しい時を選んだかのような、とんでもないハプニングだった。
 最初に壊れたのは分包機だ。漢方薬は現代薬と違ってとても湿気やすいので、精密な機械だとすぐに湿気が災いして壊れてしまう。だからなるべく古い機械を見つけて使っていて、シンプルで壊れにくいが、さすがに年季が入っているから時に故障はする。ただ、構造がシンプルだから自分でも治す事ができるような故障も間々ある。今回も以前経験したのと同じ故障だったから自分で挑戦してみた。ところが28日の午後4時頃だから、ひょっと自分で直せなければ年を越してしまうと気がついて慌ててユヤマへ電話を入れた。具体的な故障具合を電話で報告すると、いろいろ修理の手順を教えてくれた。ところがデシタル故障番号を向こうが確認すると、もうそれは自分たちが修理に赴いても交換する部品がすでに製造中止だから、直すことはできないと言った。僕はかつて同じようなことになって、自力で直した経験があるあるから、プロに来てもらえれば直ると思っていた。ところが相手は「古くて部品がないからもう修理は不可能」の一点張りだった。古いから諦めて代替品を買う気があるのなら、僕も強くは言えるのだが、どうせ漢方用だから新しい機械を買ことはできない。メーカーの思惑とは真反対だ。片や買えない、片や売りたいだから折り合えるところはない。ただ、僕の薬局の病院用の分包機は1台数百万円もして、そろそろ買い替えの時期を迎えている。それは向こうも分かっているだろうが、故障のタイミングが彼らにとっては最悪のタイミングだったのだろう。あと1時間でお正月休みの長い休暇が始まると言うところでの僕の電話だから、彼らのモチベーションからしたら最悪のタイミングだったに違いない。ただし、この時間帯の電話なら過去にも何度かしたことがあって、そのつど修理に飛んで来てくれた。そもそも分包機の修理は、医薬分業を支えるのには必須の条件だ。それを分包機メーカーが軽視することはありえない。彼らがかたくなに修理不能を繰り返した唯一の理由は「たいぎ めんどう」だと思っている。電話だから顔は見えないが、話しぶりで分かりすぎるくらい分かった。
 結局来てくれない事が分かって娘婿がそこから修理に挑戦してくれた。そして30分後には見事に直してくれた。素人が、スマフォ片手に取り扱い説明書を見ながら直してくれた。この事実をユヤマには言っていないが、分かればどういった反応を示すのだろう。電話で対応したのは僕で、どのように相手の意思を感じたかは娘夫婦には詳しくは言っていないから、次の機器選定でユヤマを選ぶかもしれないが、僕の頭にはもうない。僕はスポーツでも何でもトップよりそれらを追いかけるほうが好きだから、前回も前々回も前園を選ばなかったが、次回は前園にしようと思っている。
 2つ目の故障は秤。秤と言っても薬局の秤だから、0.01g単位の精密なものだ。20万円近くすると思う。これが壊れても、薬局にはいくつかあるから代用はきくが、なにぶん不自由だ。量るたびに秤を移動させることになる。これも出来るだけ早く手に入れたかったが、29日だから会社は休みに入っている。いろいろ早く手に入る方法を探っているときに、妻が台所で使っている電子秤を持って降りてくれた。今までまじまじと見たことはなかったが、ふと「これで十分」と気がついた。煎じ薬用だから1g単位で十分なのだ。漢方薬でも0.1g単位で計るものはあるが、それは粉薬に限られているし、それ用の秤は健在だ。そこで早速その夕方、ダイキに行ってみると、大皿でしかも0.1g単位まで量れるうってつけのものが売ってあった。それも3000円もしない。早速買って帰り、我が家の分銅で検査してみると正確だった。料理用だと思うが、こんなに精密なものがこんなに安いのかと感心した。
 日常業務の中で一番心配なのは、パソコンが壊れること。そして調剤機器が故障すること。もっとも僕が苦手とするものばかりで、致命傷になりえる。運よくそれぞれに得意な方と知り合っているから今までなんとかなってきたが、今回の経験で、片一方については不安を増した。

年賀状

 僕には100%心を割って話せる人が二人いる。どちらも大学時代の先輩で卒業以来数回しか会っていない。10年に一度くらいしか会っていないのに、この二人を超える人には未だ巡り合ってはいない。
 僕が年賀状を書かないことを知っているのに、二人とも年賀状をくれる。その中の一人からいただいた年賀状がよかった。僕一人で見るにはもったいないので披露する。猪が駆ける姿をデッサンして周りに多くの言葉が散りばめられている。その言葉をひとつ残らず列挙する。僕の思いと完全に一致するのだ。卒業以来40年経ち、数回しか会っていないと言うのに。

 ビッグタイトル 「猪突盲進でいいのか?日本」
 
 東京五輪 国威発揚 対米従属 日米安保 憲法改悪 軍靴の響き 辺野古埋め立て 海死滅 消費増税 軍事費増大 軍備増強 福祉切捨て 総理大臣 政権私物化 官僚忖度 官房ウソつき ネット天国 監視社会 原発爆発 再稼動 帰還促進 被爆強要 再エネ賦課金 電力買取 パネル敷き詰め 山 荒廃 汚染土拡散 農地 造成 コンビニ天国 世は地獄

 

神戸牛

 スマートフォンを持っていないからその実力を知ることはできないが、日本語がほとんどできないベトナム人でも、それがあれば1000円で神戸牛が食べ放題の店があることを探すことができるらしい。神戸に行く2日前に突然その店に行くことを希望されたから、僕はインターネットで調べた。もちろん見つけることはできたが、どうも胡散臭い。僕はブランド牛などというものにまったくこだわらないからその価値を知らないが、その店の近隣のレストランで肉料理の相場を調べたら、安い店で3000円、上は1万円まであった。それが食べ放題で1000円となると、僕はとても口に入れることはできない。食料品の買い物もほとんどしたことがないからわからないが、普通の肉でも1000円くらいなら量は知れているのではないか。僕でも食べられそうだ。それこそ若者だったら底なしだから、採算が取れるはずがないだろう。僕はその店に行くのにすこぶる抵抗があった。何の肉なんだってところだ。
 案の定というか、僕ももう何回も神戸行きを付き合っているから想定したとおり、元町の買い物で時間をかなりとった。僕は通りをはさんだところでひたすら待った。その忍耐のおかげで、その焼肉の店に到着できるのが午後の3時過ぎになった。となるとその後の麻耶山からの神戸の夜景を眺めるという最大の目的に支障が出る。そこで、一応三宮で降りるには降りたが、そのまま新神戸まで行くことにした。彼女たちも納得してくれて新神戸で、あるレストランに入り2800円のステーキを食べた。僕は見ただけで胃がもたれそうだったので、海鮮ものにしたが、彼女たちはそのおいしさを堪能したみたいで、何度も僕のほうを見て「神戸おいしい」「神戸おいしい」と繰り返していた。時間ぎりぎりでやっとステーキハウスを見つけた僕の努力を買ってほしいが、分かってはいないだろう。日本中地元みたいな感じで僕を見ているから。何はともあれ、その親切だったお店の方に感謝だ。神戸牛より、おいしく安くオーストラリア産の肉を焼いてくれたのだから。

異質

 岡山駅で待ち合わせするまで、自分で言い聞かせていた今日のテーマは絶対に疲れないことだった。なぜなら明日も、6人神戸に連れて行かなければならないから、連日で疲労を積み重ねれば3日に1日中休んだとしても取り返す自信はないから。そこまでもう体力は落ちている。この半年くらいの経験で身にしみて感じている。それに抵抗するかのごとく逆らって行動しても、傷を深くするばかりだった。
 ところが車で玉野教会に行く途中ですでに、何とか彼女たちにとって可能な限り有意義で楽しい1日であってもらおうと決めた。それだけ僕の心を打つ会話が車中で行われたのだ。来日して1年の女性が二人、半年の女性が二人なのに、牛窓工場のベトナム人に比べて圧倒的に日本語の習得が早い。御津工場のある町には、町が主宰の日本語教室が充実していて、そこに通う外国人が多いことが理由らしい。なるほど通訳なしで1日いろいろな話ができた。
 ミサの後、信者の方々と神父様とでお茶を飲んだのだが、彼女たちのところに信者の方々が親しく寄ってきてくださり、会話を楽しんでいた。その光景があまりにもよかったので、一番取って置きのコース(フェリーで四国に渡り、瀬戸大橋で帰ってくる)を封印して、2番目のコースに頭の中で変更していた。ところがふとしたきっかけで四国に渡ることが信者の方に聞こえると、土地勘のある方だから今でも間に合うと教えてくれた。そこで中座するように教会から出たのだが、教会の扉を閉めるや否や、4人が「ああ、楽しかった!」と日本語で口々に言った。おそらく、会社を離れてこんなに日本人に親しくしてもらったことはないのではないか。会社での職業的なつながり以外にはなかなか日本人と接点がないみたいだから、その新鮮さに感激してもらえたのかもしれない。
 結局、高松にフェリーで渡り、僕のお気に入りのホテルのバイキングを楽しみ、丸亀まで香川県を横断し、城を楽しみ、瀬戸大橋を渡って帰ってきた。帰路、毎週お父さんに会いたいと言ってくれたが、それは不可能だ。おそらく4日?ひょっとしたら3日からまた多くの方のお手伝いをしなければならない。今年の目標は、体力温存、心の平安だ。ベトナム人にかつて日本にあっただろう家族関係を疑似体験させてもらえれば、心の平安には多大な貢献をしてもらえるが、体力は温存どころか崩壊してしまう。来日して初めて、自由な小さな旅をして喜んでもらえたみたいだが、明日の6人は違う。3人の約束だったのが、昨夜訪ねたら僕に相談なしで6人に増えていた。タクシーで回れるところがこれでバスを使わなければならない。大都会でバスで回るのは結構難しく、インターネットで昨夜から予習を重ねている。3年間の付き合いで、遠慮がなくなったのだろうが、鼻につかないわけではない。選抜されてきたよい人ばかりだが、国民性では解決しない不条理も最近は鼻に突き出した。今日の感激と感謝いっぱいの4人とは異質なものになりつつあった。