窒息

 二日連続で新幹線ネタ。
 こだまの各駅での長い待ち時間のための停車には参ったが、そのおかげで考えたことがもう一つある。
 こんなところに新幹線の停車駅は必要ないだろうと思う駅は概して小さい。だから新幹線の中から町並みが障害物なく見下ろせる。要はホームのすぐ下に町が広がっているってことだ。そしてそれはいかにも繁華街と言うのではなく、どこにでもある住宅街だ。目に入る建物全てが一戸建てと言う駅もあった。そしてそんな込み入った町の中を車がすれ違えるかと言うような細い道が迷路のようにつながっていた。車で入り込んでしまうと、接触事故を起こしてしまいそうでよそ者だと怖いだろう。
 恐らくどの町も高度成長期に周辺から人々が集まって町が出来たのだろう。建売かどうかは別としてどの家も小さい。上から見下ろすと、一つ一つがけなげに見える。夢のマイホームを手にした人たちの夢の町だが、田舎者の僕からすれば窒息しそうだ。自分の家から見えるのは隣の建物の壁。自分のプライバシーを覗かれない為の壁。空を見上げたときだけ自由な視線。山は遠く川も海も池もない。
 大学受験が終わり名古屋にアパートを探しに行ったときに、住宅街の余りの人口密度の高さに窒息しそうになった。そんなときに岐阜に滑り込んで救われたが、今も当時と変わっていない自分を発見した。
 牛窓を過疎の町として嘆く住人がいるが、僕はそれを嘆いたことはない。人口は僕が帰ってきたときより半減しているが、一人の人間が占有できる空間の広さにいつも救われている。あの山もあの海も僕のためにあり、あの鳥もこの鳥も僕のために飛ぶ。