肩書

 ある女性が安定剤を漢方薬で作ってと言ってきた。理由はお姉さんをつい最近亡くし、最期に立ち会っていたときの様子が頭から消えなくてしんどいそうだ。壮絶な最期に立ち会えば当たり前の話だろう。ただ、現代でもやはりガンは壮絶な最期を演出してしまう病気なのだと、とても残念に思った。毎月数冊届く薬学の雑誌には、医療用麻薬をうまく使って、苦しまない医療が標準のように書かれているが、実際にはまだまだ地獄のような最期を迎える人もいるみたいだ。
 その方のお姉さんは、入院当初は「死にたい」と言っていたらしいが、それが最期のほうには「殺して」に変わったらしい。ベッドサイドで看病に当たった彼女に向けられた眼光にたじろいだらしい。
 僕は、薬学の雑誌で得る知識とはとてもかけ離れていたので、主治医は何歳くらいの方だったのと尋ねた。すると歩くのもよたよたしている老人と言った。なるほど、だから麻薬を使ってくれなかったのだ。麻薬を使って安らかに送ってくれるのが西洋の医療だが、日本では延命こそ命の医者がまだまだ多い。そんな医者は、特に高齢の医者は麻薬中毒の負の記憶のせいで、医療用といっても麻薬を使うのは抵抗があるらしい。ただ、死ぬよりつらい症状を取るのは麻薬がいちばんだ。麻薬中毒にして幸福感のうちに最期を迎えればいい。
 中小の病院は、引退した過去の栄光の肩書き欲しさに老医師を雇うことが多いが、日進月歩の医療になかなか追いつけないのが実際ではないかと思う。僕がもう病院の処方箋調剤ができないのと同じだ。人生を終えるときくらい楽に逝きたいものだ。少なくとも死に際に「殺してくれ」なんて言わせてはいけない。