お茶湯

 僕は3世代同居で育ったから祖母や母がやっているのをよく見ていた。妻も母親が毎朝欠かさなかったのを見ていたらしい。どの家でも行われていた風習だと思う。まだまだ半世紀前には先祖を敬っていたのだ。
 母とモコを連続で亡くしたから、妻は毎朝お茶湯をしている。キリスト教だから立派な仏壇もなく、手作りの祭壇だが、それなりにコンパクトに思い出のものを飾っている。そこに毎朝お茶を運ぶのだが、まるでモコが生きているように話しかけながらお供えしている。妻の家はよくお茶を飲む家だったらしいが、我が家はあまりお茶を飲まなかった。母が忙しかったせいかどうか分からないが水が多かった。もっとも牛乳が多くて、それぞれの親の想いがあるのだろう。
 今朝もお茶等をしてから朝食が用意された。ただ何となく順番が不気味だった。お茶等をした後、そのお茶を注いでくれたのだが、何となく厳かに僕の前においたものだから思わず「僕にお茶湯をしないでよ。僕はまだ生きているんだから!」と言った。まるで母とモコと僕を亡くした様な流れだった。
 予行演習をしたのではないだろうが、この際だからお願いしておいた。「僕のお茶湯はコーヒーかユンケルでお願いします」