不謹慎

 もし日本語がもっとうまく使えれば「なんとまあ、不謹慎なこと」とその顔は言っていた。日本語がまだ2級だからそこまでは言葉で言い表せれないが、顔は正にそう言い切っている。ただし、僕はそうは思っていない。今日シンフォニーホールで第九を堪能できたのは、母の愛情だと思っている。本来なら今日がお葬式に当たるのだが、このところの亡くなる方の多さで葬儀場やお坊さんが手一杯なのだそうだ。だから2日も葬式が延びた。もっとも家族葬だし、形式にとらわれない人間ばかりだから、そのあたりの気持ちの持ちようは臨機応変どうにでもなるのだが。  母は、僕が1年間待っていた第九のコンサートに行かせてくれたのだと思う。そして、かの国の人たちにもっと親切にとも言ってくれているのだと思う。母の気持ちが通じたのか、来日して半年に満たない女性たちは、乏しい日本語を駆使して、どれだけ幸せな体験をしたか教えてくれた。その中の二人は初めて行動を共にする人で、まだ距離があったが、一気に親しくなったような気がする。遊びはともかく、日本の文化を紹介する、そのスタンスを母はいつも理解してくれていた。そして当然、感動的な演奏を聴かせてくれた出演者の方々に感謝だ。  母が亡くなった事を伝えると、いっせいに多くのかの国の女性たちが目を充血させ、我慢できずに涙を拭い始めた。全員が母を見舞ってくれた訳ではないのに、涙を流してくれる。面識がない人の死をいたんで涙を流してくれるなど思いもしなかったので打ち明けなければ良かったと思ったが、打ち明けないほうが余計悲しませたかもしれない。  生きているうちに出来る限りを尽くしたから母の死について悲しむことはない。正に後悔しないためのこの数年間だった。与えることしかしなかった母に、出来ることは、願うことはただひとつだった。安らかに、安らかに。そして幸運にもかなえられた。