不思議

 不思議だ。理知的で笑顔が絶えないこの女性が、どうして3回連続で遅刻をしてしまうのだろう。それもただの遅刻ではなく、その日の行動を決定付けるほどの。ただ、仲間の友情が3回とも窮地を救った。  昨日、歌舞伎の公演を福山まで見に行く為に、岡山駅の噴水前で待ち合わせた。僕は少し離れた路地に駐車して待っていた。見に行かせたかの国の女性2人から時間を過ぎても連絡がない。後部座席で待っていたひとりの女性に携帯電話で連絡してもらうと、約束の時間を10分過ぎているのに姿が見えないという。僕はさすがに3度目の遅刻はないだろうと踏んでいたから、彼女の携帯電話の番号をメモしてこなかった。だからこちらから連絡は出来ない。福山の公演の時間から逆算して、ある時間には必ず出発すると言い切った。ところがその時間を過ぎても呼びに行った2人が帰ってこない。そしてそれから暫く経って、「今来たから、これから車のところに戻る」と連絡があった。  いつものようにその女性は悪びれた様子はない。「お父さんごめんなさい、電車が遅れた」と言った。「電車が遅れたのなら仕方ないね。事故でもあったの?」と尋ねると、迎えに行ったうちの一人が「電車が悪いの違う。〇〇のせい」と言った。「寝坊しちゃった」と言い換えたから「電車が遅れたのではない、私が遅れた・・でしょう」と日本語教室をした。なんでも目覚まし時計を持っていないそうだが、スマホにはそうした機能がついていそうだが。  結局今回も、通訳仲間が僕には内緒でもう1つ電車の到着を待ったことになる。辛うじてその電車には乗れたみたいだが、田舎からやってくる電車だから30分に1本しかない。もう1本だけと言う友情が彼女の窮地を救ったことになる。帰国にあたってどうしても歌舞伎を見てみたいというから彼女のために企画したのだが、時間の観念だけはどうやら身につかないらしい。他の分野が優れていること、日本の文化や伝統にとても興味を持って勉強することなどを勘案すると、彼女の3回の失態を説明出来る、ある医学用語に行き着く。ただそれはどうでもいい。最後のお願いをどうにか実現してあげれたのだから。牛窓工場でないこと、帰国までの僕の日曜日が全て予定で埋まっていることを考えあわせると昨日が最後の日となった。日本で買った自慢の大きなカメラをいつも肩にぶら下げていた女性だが、日本文化の紹介の機会を失わせたくないと3回ともぎりぎりの判断と戦っていた僕の心まで撮れたかな。