期間限定

 僕と母は、介護施設の駐車場にある大きな木の陰で、けたたましい蝉の声を聴いていた。時折蝉が飛び立ち、隣の木に移る。それを見て母が何か言う。聞き取れないが、蝉の声と飛ぶ姿に明らかに興味を示していた。それだけでも今日訪ねた意味がある。時間も季節もない施設の中で、母は耐えているのか。それとも何も感じないのか。今だ僕は正面から母の顔を見ることは出来ない。この罪悪感から恐らく解放されることはないだろう。  目の下にはグラウンド。いつもなら少年野球チームが練習しているがさすがに炎天下、時間をずらしているのだろう。グランドの下には農家が点在し、緑の絨毯が広がる。緑の深さが、やがて来る豊作を予言している。その絨毯の向こうに小高い丘。そしてその上には雲ひとつない青空。飛行機雲を吐きながらジェット機が銀色に光りながら飛ぶ。  あの飛行機に乗って帰っていったかの国の女性たちを思う。その中の1人が昨夜妻のフェイスブックに近況やかの国の暮らし振りを紹介する写真や動画を沢山送ってきてくれた。帰るときに「お父さんが来たら、私の田舎に連れて行ってあげる」と言った女性だ。僕は冗談で「何があるの?」と尋ねたら「畑が一杯」と答えていた。正に昨日の写真はそのとおりで、広い畑にしゃがみ込み、ボールみたいなものに、大きなスプーンを入れて食事をしている少年の姿が映っていた。同居するかの国の2人がいなければそれが食事だとは分からなかった。弟かもしれない。広い青々とした畑が広がり、その後ろに山が写っていた。想像するに高原のように見える。まるで根拠はないのだが、長野県の畑の景色のような気がした。そして食事を作っている様子。僕の子供の頃でもそんな光景はなかったが、家の外に大きな鍋を持って出て、簡単なまるで蟻の巣みたいな釜で料理をしていた。  この若い女性は、少し体力に自信がなく、来日してすぐに漢方薬を作ってあげた。日本の漢方薬の効果に驚いたみたいで、結局滞在期間中精力的に働きまた休日には僕と行動をともにした。ある偶然で3ヶ月間の日本の工場の応援に選ばれたと幸運を喜んでいたが、僕は彼女を含めて6人に、かなり濃密な3ヶ月を送ってもらえた。来日した季節がよかったのだろう、コンサートが沢山あって、小旅行を兼ねて多くのところを訪ねることが出来た。別れの夜、人一倍涙を流してくれたその女性の幸せを祈らずにはおれない。そして幸せをつかむだろう事も容易に想像できる。はにかみ屋さんだったが、いつも僕の近くに陣取って、分からない日本語の向こうに見える僕の心を読んでくれていた。  昨夜動画や写真を見て、本当によいことをして上げられたと、僕のほうが感謝をしたいくらいだった。ローマ字でたった一言ありがとうと添えられていたが、その言葉は僕が返したいくらいだ。  最近の僕を支えてくれているのは、僕の漢方薬を頼ってくれる人たちと、懸命に働くかの国の女性達だ。この歳になると、とにかく人の役に立ちたい。自分に目標はもてなくなった世代の共通の心理かもしれないが、どんな形であっても役立てることしか喜びはない。だから僕は、経済的に恵まれていない人でも飲めるような漢方薬で病気を治したいし、コンサートも小旅行も、できるだけ多くの人を誘う。目の前の頑張っている人や困窮している人の役に立ちたい。そしてそれは僕が必要なくなるまでの期間限定。幸せな人に付き合っているほど僕には時間に余裕はない。