季節

 好むと好まざるによらず、自分の将来のことが頭に浮かぶことがある。ほとんどのテーマは仕事上のことだが、発展的な発想はほぼない。どちらかと言うと卒業を前提の発想だ。ただ、そのどちらにも属するようなことを最近考えて、それを漢方問屋の専務さんに漏らした。  近所の農家が誰も住む人がいなくなって空き家になっている。農家とあって庭は広い。建物は古いが、リフォームしてよみがえらせれば結構趣が出るに違いない。そこに漢方薬だけ移して薬局をしたいと思った。ガーデニングで庭を飾り、1日中水の音が聞こえるように水車を回したいと思った。薬局のガラス窓越しに水車が回る姿が見えれば、心が洗われ、副交感神経がより働いて、内臓の働きがよくなるだろう。そうすれば現代人の苦痛を漢方薬でより治すことが出来るようになる。そう踏んだのだ。もちろん僕自身の労働量も歳相応で済むようにもなる。  それを聞いていた専務が、同じようなことを言っている先生がいて、その人は実行に移しそうだと教えてくれた。今は国道に面したところで薬局をやっているらしいが、山の上に店舗を移して本当に漢方薬が必要な人だけに来てもらいたいのだそうだ。既に土地は手配しているらしいが、地元の人でも滅多に近づかないような山の頂らしい。でも町がすべて眼下に広がりそうで、ロマンがある。グーグルで見せてもらったが、町外の人にはたどり着けないだろう。  専務いわく、その薬局が頂上に移れば、その町は漢方薬の空白地帯になるらしい。そしてもうひとつの地域も教えてくれた。こちらはもっと規模の大きな街だが、いわゆる漢方薬を標榜している薬局がないらしい。だから僕に支店を出したらと言うのだが、引退までの道のりを相談しているのに逆行する提案だ。もっとも、彼にとっては漢方薬を標榜する薬局が減ることは死活問題だから、そういった提案もしたくなるのだろう。「僕が若かったら、そして僕がここを空けることが出来るような後継者がいたらできるかもしれないが、それは絶対出来ない」と答えた。  多くの現代の薬局は、処方箋を調剤することが主なる業務になったから、昔みたいにのんびりと勉強をすることが出来ない。持ち込まれる処方箋にかかりきりだろう。ゆっくり何年もかけて勉強してそれで少しだけ人様の病気を治すことができるようになる。その積み重ねはかなり時間的に難しい。だから、漢方薬局などと言うものは、減る運命にあるのだ。  僕のところで数年勉強した女性薬剤師も結局は結婚して急速に漢方薬への興味を失った。僕の属している勉強会で熱心に勉強していた薬剤師夫婦も結局は開局を躊躇っている。金銭的な投資や時間の投資に見合うだけのものを得ることが容易でないから、新たに挑戦する人は少ない。  このままか、それとも何か変化があるのか、自分の意思で切り開けるほどの環境はもう整ってはいない。川の流れに身をゆだねるのか、風に吹かれるのか分からないが、僕の季節はもう春を見ることは出来ない冬になっている。