伊藤たかお

 いったん5000円札をくれていたのだが、やはり多すぎると思ったのか、1000円札3枚に換えられた。最近の歯医者代は結構高いからこれでは足らないこともありうるなと思ったのだが、もう少し要求すると何を言われるか分からないので不安なまま歯医者に行った。今日は一つの歯を治せば言い訳ではなく、3つの歯を連動して治すと説明を受けたときに、手持ちのお金が少ないことが気になり始めた。案の定、会計のときに3800円と言われて「すいません、取りに帰ってきます」と言わざるを得なかった。自分の金が600円あったのであと200円あれば恥をかかなくてすんだのだが、この200円の壁は高かった。何の気なしに、金額の覚えに領収書を持って帰ろうとしたら歯医者さんが「領収書はお金をもらってから渡します」と言われた。僕はルーズだから逆の立場だったら渡してしまうが、これが普通なんだろうなと納得してそそくさとドアを開けて帰った。  考えてみれば僕はほとんどお金というものをもった事がない。学生の頃は仕送りもなく、アルバイトも最低限だったから、先輩達に食べさせてもらったりした。先輩も金がなかったから、どうして暮らしていたのか今になっては思い出せない。結婚してからは、必要なお金を妻にもらうようになった。ただ必要なお金自体がなくて、お金など持っておく必要もなかった。そんな時代がこの10年前くらいまで続いた。勉強会で県外に行くときも、旅費(これは薬局から出る)に1000円余分にもらうだけだった。その1000円はほとんど食費だが、それも使わずに帰って来ることも多かった。  勉強会以外で出歩くことが増えたこの十年、長年の習慣で恥をかくことが多かった。特に教会に行きだして、急な寄付や食事会などでは手持ちがいつもなかった。本来なら屈辱なのだろうが、僕はそれには実は結構耐えられるのだ。恥と表現したのは一般的な表現にしたがっているだけで、僕は恥などとは捕らえない。学生時代からお金がない状態には結構慣れていて、それだからこそ築けた人間関係が好きだ。そしてお金も物もプライドも持たない自由さが僕には快感なのだ。逆の立場を経験したことがないし、知りたくもないから、こちら側の快感を大切にしている。持たないことや無いことは即自由なのだ。  お金を入れたことも降ろしたことも無い。キャッシュカードを持ったことも無い。破れて小銭が落ちる財布を使い続けている。「自由って言うのは失うものが何もないことさ~」二十歳の頃から全くこの考えはぶれない。ありがとう伊藤たかお。  

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