鼓典2015「冬の章」

 大太鼓のソロを聴いていて、この打ち手が讃岐国分寺太鼓保存会にいたかなと記憶を懸命に呼び起こしてみたが、心当たりはなかった。と言うのは、もう何度も讃岐国分寺保存会の演奏は聴かせて貰っているが、大太鼓がいまひとつ訴えてこないと記憶していた。ところが今日のソロを聴いていて、こんな言葉があるのかどうかわからないが、速打とも言うべき打ち方に感心したし、感動を与えてもらった。専門用語が分からないから正しくは伝えられないが、まるで小さな太鼓を打っているのと同じくらい速い回転で大太鼓を打っていた。それで迫力に欠けるのかと言うとそうでもない。十分大太鼓の本質は確保されていた。  来年の春に3年間の研修生としての仕事を終えて帰る〇〇は好奇心が強くて、3年間僕と行動を共にすることが多かった。和太鼓のコンサートも10回以上連れて行ってあげていると思う。先ほど寮に帰って一休みしているときに彼女が今日のコンサートの感想を言った。それがなんと僕と全く一致した感想だったのだ。一つは例の大太鼓奏者の上手だったこと。もう一つは、小さな太鼓をひたすら一定のリズムで打ち続けた女性。この二人を上げて、今日のコンサートを聴けた喜びを語っていた。全く僕と感想が一致したのに驚いた。目の付け所が、いや、耳の付け所が同じなのには驚いた。耳が肥えるとはこのことだろうか。  ついでにコンサートの途中で起こったハプニングを披露する。今日も7人かの国の女性を連れて行ったのだが、その中の3人は10月に初めて来日した人たちだ。僕の隣にいた女性は通訳としてやってきた。讃岐国分寺太鼓保存会の歴史を紹介する映像が流れたときに、すすり泣きを始めた。不覚にも僕は午前中訪れた四国村で風邪をひいたのかと思ったが、次第にすすり泣く声が大きくなった。そして彼女が「オトウサン、〇〇〇〇を思い出して寂しくなった」と言った。僕はまだ訪ねた事がないから想像でしかないが、映し出された田園風景、特に整備された棚田が山の上まで広がっている光景がまるでその国に似ているのではないかと思ったくらいだったが、案の定そっくりだったのだ。全員農村出身だから、ひょっとしたら全員が郷愁に駆られたかもしれない。日本の原風景と保存会の主旨が重なるのだろうが、にくい演出だった。  ついでに素人が、えらそうなことを言ってみる。後継者になるべく子供たちの力も相当なもので、子供だからと演奏の完成度に甘えはなかった。むしろ僕はその実力を見せてもらったから、一人ひとりのソロをもう少し長くしてあげたらいいのにと思った。真ん中でリズムを刻む男の子と女の子は上手だったし、特質すべきは、こちらから見て舞台の左側で打っていた女のこの天性の笑顔が素晴らしかった。太鼓を打つのは、かなりのハードな作業のはずなのに満面の笑みが途切れることはなかった。高齢の方が多い聴衆が、どれだけ心温まっただろう。僕は勝手に、高齢の方が太鼓をよく聴きに行っているのは、「健康で暮らし、来年も必ず聴きにくるぞ」と言うモチベーションに和太鼓がなっているからだと思う。  通訳の女性が「和太鼓は日本の文化ですか。素晴らしいですね」と言った。僕は恐らく今までに50人くらいはかの国の人たちを和太鼓の演奏会に連れて行ったが、今だ嘗て、「ツギモ イキタイ」と言わなかった人を知らない。日本の文化かどうか分からないが、僕にとって文化そのものであることは確かだ。