旋回

 我が家の誰も知らないうちに、そっとお墓の掃除をしていてくれたのだからお礼をしなければならない。偶然にもお墓が隣り合わせだから、わざわざ出かけて行ったと言うわけではないが、でも誰が他人のお墓を掃除してくれるだろう。わざわざ出かけなくても、わざわざしてくれたことには相違ない。よほどのことがないと出来ることではない。彼にとって何がよほどだったのだろうと思うが、実はよほどではないから、彼の人格と言えるのだろうか。だから彼が2度も法務省に出張に行っていたのが残念でならない。  ジャズやデキシーと言ったら目の色が変わるような人だから、ライブハウスでのコンサートは格好の機会だった。案の定十分楽しんでくれたが、面白いシーンを目撃、いや鑑賞させてもらった。チケット代には1杯分の飲み物代は含まれていたのだが、彼が日本酒の一杯で足りるわけがない。曲の途中で早くもお代わりを取りにカウンターに行っていた。そして3杯目・・・・を取りに行かない。とうにコップは空になっているのに、動かない。曲に熱中しているのかと思うが、それはそれで別のようだ。ついに、「500円しか持ってこなかったんで、大和さんおごってちょうだい」と切り出した。酒飲みがいい音楽を聴きながら断酒しても似合わないから、勿論お金を渡した。すると彼は嬉しそうにカウンターに行き、お代わりを所望していた。そして女性が注いでくれたのだが、近くで見ていた僕は3回目もまた「少ないなあ」と思った。簡単な使い捨てのプラスチックのコップについでくれるのだが、どう見ても7文目だ。これで500円は高いと僕は思っていたが、彼もまた同じことを考えたのだろう。カウンターの中の女性に向かって「もうちょっと入れて」と催促していた。すると女性は「8文目までと決まっているんです」と答えた。決まっているという言葉に僕も違和感を覚えたが、彼は「そんなことを言わずに、なみなみと入れてちょうだい」と要求していた。未練たらしく彼は繰り返していたが、結局は根拠のない決まりに寄り切られ諦めて席に戻った。ほんの1分くらいの寸劇だったが、なかなか面白かった。彼女が従業員でなければ、彼がせめて1000円札でも持ってきていれば上演されなかった寸劇だ。  れっきとした公務員だったが人生に躓いた。コップ一杯のお酒代に苦心する転落を自分で予想できただろうか。悪意はなくても身を滅ぼす誘惑は枚挙に暇がないくらいある。人の生活を破壊してまで贅沢を追及する禿げたかは優に里山を超え、市街地の空を獲物を狙って今日も旋回している