最上級

 又、居眠りをしていたなどと言うとそこの場所に一番似つかわしくない輩に文章を消されるかもしれない。低レベルの検閲に甘んじるほど、僕は時間をもてあましてはいない。  毎日緊張状態で11時間働いている。せめて日曜日くらい緊張から解き放たれたいと思うが、平日緊張もしていない人達の束の間の力みに付き合うことは出来ない。中庸を重んじる医学をもっぱらとする僕には脱力こそが最高の養生なのだ。  祈る場所で許されるのは今日のような歌だけだと僕はずっと思っていた。案の定、洗練はされていないが、歌い手の純情が前面に出て、喜びのうちに歌う姿は居眠りを誘う程、僕のアルファ波を引き出してリラックスさせてくれた。年末に第九を聴きに行ったとき、指揮者が言っていた。眠ってくださいと。闘争心をなくし、完全に無防備になるほど人を安らかにすることが出来たとしたら、それはやはり音楽の勝利だ。第九のように洗練された音楽家達の作品ではないが、ハーモニーは聴いていてとても心地よかった。平生のミサでみんなで唱える言葉が、音楽に生まれ変わった姿を聴くことが出来たのは、とても興味深かった。  歌っている中の一人のおばちゃんの表情が、一際目立って良かった。笑顔が、それも決して作為的ではなく常にこぼれ続けながら歌っている人がいた。一皮むいても二皮むいてもきっと同じ笑顔が出てくるに違いない。胡散臭い人間ばかりが増えてきて、その体臭に嘔吐しそうな今日この頃、その対角線上で生きる人達の小さくてか弱い、それでいて希望に溢れた最上級の笑顔だった。