富山県から毎年牛窓にやってくる人によれば、牛窓の海は何処にも負けないくらい美しい風景で、数日間滞在しては景色を堪能するそうだ。この話をショッピングセンターを経営している方から聞いた。富山の方がそのショッピングセンターに買い物で訪れたとき、牛窓の風景をそう評価してくれたととても喜んでいた。 彼の嬉しそうな話に僕はついていけなかった。確かに牛窓には沢山の観光客が毎年来るが、僕は何処が良くて来るのか分からないし、遊ぶ施設が全くないから皆何をして時間を潰しているのだろうと、受け入れる設備の無さに後ろめたさまで感じていた。もっとも僕は観光業者でないから、僕が後ろめたさを感じる必要はないのだけれど、丁度町の真ん中に立地しているために、観光客が訪ねてきては、何処に行ったらいいかと相談を受けるのだ。その時は答えに窮して「ヤマト薬局で健康相談して帰るのが通の牛窓の過ごし方」と答えることにしているが、受ける相手と受けない相手がいる。旅情も求めてくる人には受けるみたいだが、娯楽を求めて来る人には受けない。娯楽施設が全くないのだから、僕がサービス精神を発揮して吉本をやるしかない。 牛窓の海が何処にも負けないと言う富山県の方の印象は、僕の頭にずっと理解不能の言葉として残っていた。それが今朝何となく分かったのだ。夜が明けてから散歩していると、一番手前に前島が濃い緑色に見える。島民や観光客が頻繁にフェリーで瀬戸を渡る。その西に一回りも二回りも小さくした黒島が横たわり、又その西に離れ小島と言って、黒島を一回りも二回りも小さくした島が並ぶ。その3つのなだらかな形をした島の向こうに、香川県の小豆島がネズミ色をして見える。色彩が無くなるほど遠いのだが、結構高い山があり、前島や黒島の背景のように見える。そして目をもっと遠くにやると、四国の山並みが見える。四国の山並みはもうほとんど色彩を失って見えるが、屋島という特異な形をした山をはじめ、海の向こうの遠くの地に思いを馳せらせるようなロマンがある。すなわち、人が往来する瀬戸を挟む距離にある島、その沖にある大きな島、そして遙か遠くの四国の山並み。すなわち奥行きのある1枚の絵画を見ているようなのだ。そして何より大切なことは、島が海の上に浮いているって事だ。よそでよく見かける光景なのだが、川の対岸かと思ったら島だったり、島かと思えば単なる入り江の向こう側だったりと、配置が全くなっていない場合が多い。牛窓の島は見る人が明らかに島だと分かる。どこから見ても島が海に浮いているから。又島自身の数はとても少なく、多島美を誇るところとは対照的で如何にもスッキリしている。  恐らくこのようなところに惹かれて富山県の人は絶賛してくれたのだと思う。日本海の荒波の方がどれだけ興味深いと思うが、所詮人はないものねだり。水平線しか見えない人にとって、穏やかな海の向こうに暮らしている人々が見えることは心休まるのかもしれない。