宮島


 須磨の水族館とあまり入場料が違わないような気がした。言い換えると高いと思った。何故なら規模も違うし、魚の珍しさが圧倒的に違う。同じ瀬戸内海にあるから、近隣の魚を展示していると言われても、牛窓で幼い頃釣り上げていた魚が多い。お金を出してまで見るものではないように思えた。ただ、宮島で集めた客が流れていくからだろうか、客は意外と多かった。行くまでは、インターネットで調べた情報で勝手に「閑散」とした水族館を想像していた。このくらいのものなら田舎でも作ることが出来るのではないかと思ったが、二番煎じはいけない。
 広島に行くならお好み焼きだが、スケジュールの都合で宮島で昼食をとらなければならなかった。僕はあまり古めかしいところは嫌いだから、モダンな建物の「アナゴどんぶり」を食べた。昔ながらを売り物にしている門前町だが、一際垢抜けたカフェがあり、そこもアナゴどんぶりをやっていた。得てして観光地は立地に甘んじて、高くてまずいが、正にその店も高くて普通だった。僕の母が作ってくれていたものの方が数段美味しかった。
 さすがに僕も宮島を何回も訪れて、食傷気味だった。そこで今日はロープーエイに乗ってみた。ところがこのロープーエーは、やたら高い。5人で往復1万円近かったと思う。観光目的だから、財布の紐は緩むが、上がって降りたら1万円は高い。
 来年はなにやら10連休があるらしい。1日遊んだだけでこんなに出費が重なったのに、10日も同じような日が続いたらどうなるのだろう。貧乏人は遊べない。金持ちは人を働かしながら自分は休み、それでもお金は入ってくる。この不公平に耐える人が悲しい。

日常茶飯事

 さすがにこの年齢になると、親類や知人がガンや早期の痴呆になったという情報がよく入ってくる。職業がら、そうした話の内容は日常茶飯事だったはずだが、さすがに自分が当時者となっても不思議ではない歳になったら現実味が全く違うから、話もついつい本気モードになる。
 今日も妻の友人のご主人がその手のものになったと連絡があった。随分前から兆候があったのだが、ついに発症したみたいだ。そんな話をしているときに「ガンと痴呆はどっちがいい?」とまるで直球のように尋ねられた。直球を打ち返すが如く即答で「僕はガンがいい」と答えた。その最たる理由は去年母を看取った経験だ。最後の5年間、虚空を見上げ、話しかけてもほとんど頷くだけで、的外れな言葉でも出てきたら喜んだ。車椅子に乗せて施設から連れ出しても、ただ頷きながらうつろな視線を気まぐれに変えるだけだった。ほとんどの時間をベットに一人寝かされ、定期的にスプーンで食べ物を口に運んでもらい、オムツを替えてもらう。そんな時間が5年間続いた。5年前に人格は亡くなっていた。命はあったが、それで生きると言えるのだろうか。
 ガンは死ねる。僕の漢方の先生の先生は、そう僕の先生に言っていたらしい。多くの患者を診てこられた日本一の漢方医の言葉だから重いし、多くの処方が正しかったように、その残された言葉も大いに的を射て正しいはずだ。苦痛な時間がどのくらいあるか分からないが、今は痛みを止める手段はある。それを駆使してもらえば、恐らく耐えれる範囲に収まるのではないか。
 「もういい、もういい」このところよく浮かんでくる来るフレーズだ。

感情

 僕はかの国の女性達をどこかに連れて行くと、後々のために印象を尋ねることにしている。勿論帰ってから通訳を介してだからタイム差はあるが、時に現場で彼女達を観察しての印象と通訳を介しての感想とは異なることがある。
 今回のフェリーでの高松行きもその一つだったみたいだ。4人連れて行った中の一人が「実は怖かった」と言った。何が怖かったというと「船が古かった」ところらしい。これには正直驚いた。漁船レベルの船を含めて船に乗ったことがないから、これでどうだというくらいの自信があったのだが、船の何処を見てそう思ったのか「こわい」まま1時間船上にいたことになる。4人で写真をとりまくりだったのに、怖かったのだ。もっともかの国の女性はほとんど泳ぐことができないからわからないでもないが、あちこちに露出したさびなどを見ての感想だったのだろうか。
 そして恐らくその考えに止めを刺したのは、高松港で隣に停泊していた豪華客船を見たからだろう。もうほとんどホテルを積んでいるような船だったが、僕でも驚きと羨望の眼で見ていたのだから、彼女達はなおさらだ。無邪気に写真とりまくりの中に秘められた感情に、大いに興味を持った。

 豊洲市場への10月の移転まで、間近に迫った築地市場(東京都中央区)。業者の引っ越し準備も進むが、近隣の店舗や住民らにはある大きな不安がある。「ネズミ問題」だ。築地市場内には、数ははっきりしないが数千匹はネズミが生息していたとみられている。えさが豊富な市場が閉鎖されれば、周辺に逃げ出すかもしれないのだ。

 ムムム!と言うことは今まで築地市場で売られていた魚介類や野菜は、ねずみに触れられていたものなのか。都民はいかにも有難く築地市場のことをもてはやすが、そこに集められたものは鼠と接触する機会が多かったのだ。良くぞ病気を移されなかったものだと思う。新しく出来た豊洲市場とどのくらい離れているのかしらないが、空中を這い、地下を這うことが出来る鼠にとっては、その間を嗅覚頼りで移動することはそんなに難しいことではないのではないか。四方に拡散するとみなしているみたいだが、やはり本能的に餌の豊富なところに移動するだろう。早晩、豊洲市場も鼠の楽園になる。
 地方に住んでいたら、何を市場の移転ぐらいでお祭り騒ぎをしているのかと思ってしまう。アホノミクスの汚れた政治など、もっと伝えることがあるだろうと思ってしまう。

えと

 3ヶ月の実習生でやってきている女性に歳を聞かれたので答えると、国にいるお父さんと同じだという。彼女が父親が蛇年だというので僕もそうだと言うが、僕はうさぎ年だ。彼女は怪訝な顔をして蛇だ蛇だと訴えるが、うさぎだから答えようがない。そこで通訳が日本のえとの数え方を尋ねて来た。ね、うし とら う たつ み までは言えたのだが、そこから先は知らない。行き詰ったところで通訳の質問に救われた。「2番目のうしは日本とは違いますよ。水?水?」と悩んでいたので「水牛か?」と尋ねたら「そうそう」と僕を指差して助け舟を素直に受け入れてくれた。牛と水牛だから同じようなものだと、僕は無関心だったが、彼女にはこだわりはあったようだ。これで終りならよかったのだが、さっきのえとの尻切れを彼女が許すわけがなく「オトウサン みの後は何ですか?」と尋ねてきた。こういったのは最初からのリズムが大切だから、再び「ね」から始めた。リズムに乗って言えば何でもよく出てくるものだ。そこで僕はテンポよく唱え始め、やはり最後まで言い切れた。恐らく頭で覚えるのではなくまるで歌のように覚えればいいのだ。今でもはっきりと唱えることが出来る。「ね うし とら う たつ、み ぱんだ、しろくま らいおん まんとひひ わに かえる」

屈辱

 確かNHKのニュースの中で見たと思うのだけれど「ノーモア自粛」と言う運動を取り上げていた。北海道の地震の後に経済が落ち込んだから、自粛せずにお金を使って経済を回していこうという運動だ。すぐに僕は福島の風評被害と言う言葉を思い出した。政治屋が自分達の罪を隠すためにとってつけた言葉を、被害者が錦の御旗の如く有難がり、結局は罪人達を見逃した標語だ。すべての放送局が手を貸したから、明らかに奴等も共犯者だ。
 余程経済的に恵まれている人間達ならいざ知らず、老後資金も貯蓄もない水準の人に自粛するななどと言えるのか。本来なら将来に渡って倹約をし質素に暮らせというのが道だろう。それなのに、この標語の提供者のように飲食店を複数経営している人間達の売り上げを落とさないために協力してと言う、所詮人道的なものではない。家が壊れた人達がいる土地で、どうして金を使ってなどと言えるのだろう。旅やグルメを楽しむ旅行者を横目で見ながら何をしろと言うのだ。それは屈辱の何物でもないように僕には見える。
 

第10回児島湾干拓 和太鼓フェスティバル

 今日、第10回目となる「児島湾干拓 和太鼓フェスティバル」に行ってきた。素人和太鼓評論家の僕が感じたことあれこれ。
 今日唯一の後悔が、最初に舞台に上がった「豊洲如水太鼓」の確か3人の若い女性だけで演奏した2番目の曲だったと思うのだが、その曲に関すること。その曲はかなり完成度が高かった。僕は大勢で始まった第一曲目の印象があったから、その流れで聴いてしまったのだが、実は曲もよく、腕もかなりのもので、いわゆる聴かせどころがしっかりとしていた。僕は正直迷ったのだ。僕は感動したら歓声か指笛でそれを演奏者に伝えるようにしているのだが、この女性3人にも送ってよかったと後悔した。この文章を書いている今でも是非感動を伝えるべきだったと後悔している。是非あの曲を大切にして欲しい。豊洲如水太鼓の出演するコンサートでは毎回披露して欲しい。あの曲目当てでコンサートに足を運ぶ人が出てきても不思議ではないレベルのものだから。
 次は茶屋町鬼太鼓。全員が鬼の面と服装で固めるのだから、外国人は釘付けになる。おまけに、太鼓を打つ腕も安定しているから、安心してエンターテインメントを楽しむことが出来る。演奏が終わっても面をとることがないから分からなかったが、フィナーレの合同演奏の時に面を取って現れて驚いた。若い人が多い、それも社会人くらいの若者が多かった。これはどのチームにもない現象だ。どういう理由であれだけ若い人が集まっているのか分からないが、チームに希望がある。それと蛇足だが、演奏中に家内安全、魔除厄除のひょうたんが10個鬼によって観客席で配られたのだが、最初の1個を僕に配ってくれた。人一倍、和太鼓の演奏を楽しんでいるのが分かってくれたのか鬼は席まで来て明らかに僕を選んでくれた。ひょうたんを1回振り願い事を言うとかなうのだそうだ。家に帰って早速お願いした。
 3つ目はやはり和太鼓 風人。このチームには恐らくコアなファンがいて、演奏する前からの期待感が違う。風人のコンサートでは必ず演奏の前に拍手が起こる。これが圧倒的に他のチームとは違う。その理由は恐らく、豊洲如水太鼓について書いた中で言及したように「聴きたい曲」があるからだ。実は和太鼓で聴きたい曲があるのは珍しいことだと思う。多くのプロ集団があるが、果たしてある特定の曲目当てでコンサートに行っているだろうか。僕はかなりの有名プロ集団にも最近は足を運んでいるが、聴きたい曲と言えるものにはまだお目にかかっていない。それが風人にはあるのだ。「天翔ける」と言う曲で、これを聴けなかった時の風人出演は落胆が大きい。もっとも演奏者たちは自分の中のマンネリ化を防ぎたい気持ちが働くだろうが、聴く側としては好きな曲は100回でも聴きたいのだ。こうした僕の気持ちを共有している人が風人ファンには多いのだと思う。
 最後の「早島イ草太鼓」はある一人の若い女性が突出した腕と楽しませる才能を持ち合わせていて、多くのメンバーが彼女を中心にしてチームを作り出そうとしていることで結束しているように見えた。僕はそれでいいと思う。彼女のソロは他のチームにも負けない。観客を楽しませるその笑顔は県内随一かもしれない。彼女を引き立てながらチームがまとまり皆が上手になってきている、そんな印象をもった。
 拙文で申し訳ないが、すべての出演者に感謝の一日だった。