昨夜、インターホーンを鳴らして隣の寮から二人やってきた。僕が夜、パソコンに向かっている場所は電気が付いているから、起きていることはすぐ分かる。
 迎え入れるとすぐに通訳が「虫の薬ないですか?」と尋ねた。僕はキンチョールかと思って、ドラッグストアに行くように勧めたが、その手の虫ではないらしい。スマフォを取り出して写真を見せてくれた。寄生虫の写真だった。これはキンチョールでは退治できない。いわゆる虫下しを欲しがっていたのだ。僕は吐き気などの自覚症状があるのかを尋ねた。すると何もないらしい。それなのにどうして必要なのか分からなかったので、自分の国から野菜を取り寄せているのか尋ねてみた。答えはNOだった。昔みたいに人糞を利用していたら虫も湧くだろうが、今の日本では考えられない。だから僕はもったいないから虫下しなど飲まなくていいと言った。するとかの国では現在でも半年に一度は飲むそうだ。まるで僕らの子供時代だ。
 何となく僕の答えに満足できないみたいで、もう1度スマフォの写真を見せてくれた。何枚もある中で、イカの写真が出てきた。そこで僕は初めて彼女達の心配が分かった。彼女達はイカに寄生するアニサキスを何らかの理由で知ったのだ。写真をみると確かに僕らが通常言う「虫」とそっくりで気持ちが悪い。実は通訳でないほうの女性がイカが大好きで、よく食べるらしい。だから心配になって虫下しを買いにきたのだ。ところが、かの国の人たちは基本的には刺身は食べない。煮るか炒めるかだ。だから火は十分通るから安心だといってもすぐには安心できなかったみたいだ。ただ、僕の「大丈夫、大丈夫」で少し気が楽になったのか最終的には納得して帰っていった。
 「おとうさん 是非来てください」としばしば言われるが、年に2回も虫下しを飲まなければならないところは、どうも・・・・・・・・・・・・・

焚き火

 いつからだろう、全く予定のない日は。無理やりにでも作ってあげれば3ヶ月の契約で来ているかの国の3人は喜んだだろうが、何故か今日は自制した。と言うのは事務仕事をないがしろにしている自戒の念もあったし、寮として貸してあげている隣の古民家の柿ノ木から落ちた葉っぱや実が、せっかくきれいに砂利を敷き詰めた庭に、散乱しているのを見ていたから。そして砂利の下から、しっかりと草が顔を出し、もう止められないくらいの勢いを見せているのも知っている。かの国の女性達は農家の娘が多いのだが、何かを作ることに関しては力を発揮するが、草を抜くとか、庭を綺麗にするとかはどうも関心の外らしくて、何もしない。
 そこでしっかりと時間がある今日、自分の手で綺麗にしようと思った。砂利の上の葉っぱを1枚1枚拾っていたのだが、これでは埒が明かないと思い熊手を使ってやってみた。すると砂利の上でもかなりの確率で葉っぱを集められた。予想していた時間より随分と早くきれいになった。そこでそれを焼くと灰になってほんの小さい体積になった。本来なら仕事をしている時間帯に戸外に出て、焚き火を楽しむ。緊張感から自然に解放される。何もしないことがこんなに楽なのかと心も体も感じた。

悠木千帆

 「時間ですよ」と言う番組におばあさん役で出ていた頃は確か「悠木千帆」と言う名前だった。それがいつの間にか「樹木希林」に変ったが、僕ら世代にとっては前者のほうがしっくり来る。と言うのは、彼女が何歳の時におばあさんを演じたのか分からないが「ジュリー」と言いながら沢田研二の写真を見入る姿がこっけいで、当時多くの青年や子供達が真似をしたものだった。僕は大学生だった?牛窓に帰っていたかな?よく分からないが、まだまだ青春ど真ん中あたりでよく見ていたテレビ番組だったと思う。
 僕がその番組で発見したことは、決して美人とは言えない、むしろその逆の人でも女優になれることだ。不思議かもしれないが、僕は当時、あの世界は美男美女の集まりだと思っていた。そんな中で彼女の風貌は特異だった。ただ、その演技力は、これまた特異で、他を圧倒していた。そのおかげで彼女は映画界にはなくてはならない人になり、多くの作品を盛り上げた。
 彼女があの世界になくてはならない存在になるとともに、彼女の風貌がどんどん変ってきたように思う。年齢を重ねるに従って、風格が出てきて、人間的に美しい人だなあと感じるようになった。内面だけでなく、顔つきさえも僕には美人に思えた。ガンが全身転移して5年、どのような過酷な闘病生活を続けてきたのか知らないが、ついこの前まで映画に出演していたとはなんと言う気の強さだろう。覚悟が出来ているから気持ちが楽と言っていたが、そのことが命を永らえさせてくれたのかもしれない。勝手な言い方だが、丁度よい年齢で亡くなったのではないかと思う。僕らの記憶には、名女優の「悠木千帆」しか残らないのだから。

気概

 なんて美味しいのだろう。何十年ぶりに口にした。僕の青春の味だが、当時僕は美味しいと思って食べていたのだろうか。或いは単に空腹を満たしてくれる安くて便利なものだったのだろうか。
 最近の相次ぐ天災を心配して妻が非常食用に買っていたものを今日急遽利用した。7時に仕事を終え、すぐに出かけなければならなかったので妻がカップヌードルとインスタントの焼きそばを作ってくれた。その二つを連続で食べたのだが、結構美味しかった。かつて安いといってもなかなか買うことができずに、本当は僕には高額なものだったのだが、そして今はたやすく買える値段なのだが、感じ方が今と当時は同じだったのだろうか。
 同じ学生でも、経済格差はあり、学校の傍にあるレストランなどで夕食をとる学生もいたが、僕らと同じ金のない学生もかなりいて、インスタント食品や自炊でしのいでいた。インスタント食品も買えないときは、ご飯に塩を振り水をかけて食べていた。でも若さとはすごいもので、それでもおおむね健康だった。ついには目が覚めるとゲエゲエ吐くようにはなったが、かなり長い間、米と塩と水でしのいだ。現代では健康番組が横行しているが、無茶をしても何とかなるって事は当時多くの青年が体験しているのではないか。
 室町時代でも江戸時代でも人はたくましく生き抜いたのだから「なんとかなる」くらいの気概は今の世でもあってもいいのではないかと思う。いたずらに企業に健康至上主義を吹き込まれ、不健康な精神で生きていくのは敗北だ。財布で少々の健康は買えるかもしれないが「気概」はそのたびに失われていくような気がする。

おかゆ

 ある老人が、胃の不快感を訴えてやってきた。1週間くらい胃が痛いらしい。いつどこが痛いのか尋ねてみたら、なるほど本人の言うように胃が悪いのだろう。
 この老人は医者が好きか気が弱いのか、とにかく何があってもすぐに医者にかかる。当然1週間も胃が痛いのが治らないのだから、医院にはかかっている。そのかかりようも激しくて、昨日で3日連続で医者に診て貰ったらしい。当然1週間前に胃が痛くなったときにかかって薬はもらっているのだが
、それが効かなかったからパニくっているのだ。薬を飲んでも効かないことなど一杯あるのに、この老人にはそれは受け入れられないのだろう。薬は飲めば効くのが当たり前と信じているのだ。だからこそ、効かなかった時のショックが大きいらしくて、慌てて?僕のところにやってきた。
 3日連続で医者にかかって、「先生はどう言っているの?」と尋ねると「もう何処も悪いところは無いんだから来なくていい」と言われるらしい。薬も3日間で段々強くなって、昨日出してもらったのはかなり胃酸をカットする薬だ。本来なら潰瘍あたりに使うのだろうが、先生も何とか早くかたをつけたかったのだろう。
 これだけの薬を飲みながら胃の痛みが消えないのは不思議だった。そこで老人がどのように今を耐えているのか聞いてみた。すると老人は「胃が悪いからこの3日間はおかゆにしている。それでも全然薬が効いてこん(こない)」と言った。そこで僕はおかゆについて尋ねてみた。と言うのは彼は息子さんと二人暮らしだから、どちらかが食事を作っているはずだ。と言うより僕は彼が息子さんの食事も作っていることを知っている。僕はおかゆも作ることが出来ないが彼は少なくともおかゆを作ることが出来る。尊敬の念を抱きながら「よくおかゆを作れるんじゃなあ」と言うと「先生、おかゆなんて誰だって作れるわ、わしなんかこのくらい食べる」と身振り手振りで教えてくれたのだが、その時の仕草で大きなどんぶり一杯のおかゆを食べている事が分かった。実際に尋ねてみるとやはりジェスチャーでどんぶりの山盛りを想像できるしぐさをした。これで決まり。胃が治らない原因が分かった。「食い過ぎじゃ~」
 さっそく夜から食べる量を極端に減らしてみてと頼んでいた。そして今日昼やってきて「先生の言う通りじゃった。胃が一晩で治ったわ」と嬉しそうな顔で言った。おかゆで養生をしているつもりだったらしいが、おかゆを噛む人はまずいない。飲み込むように食べるはずだ。だからおかゆでも「食べ過ぎじゃ~」

台風

 地震、台風と、連続で災害に襲われた大阪から来た、ある会社のセールスは、その話から話題に入った。都会の人はやはり経験がないから無防備どころか、台風を楽しむような雰囲気もあったらしい。だからわざわざ車で出かけたりした人もいたという。ところがさすがに勢力を維持したままの台風の威力はすごかったらしくて、恐怖感を覚えたらしい。ただ、田舎の人間にとっては当たり前の話で、特に海辺の人間にとっては高潮のこともあり「昔から怖い」のだ。
 台風のおかげか、台風のせいか、人それぞれでこの言葉の違いはあるだろうが、大阪の街から外国人の姿がかなり消えたそうだ。関空の国際線の利用客の7割が外国人だから、彼らがいなくなったのだから、かなり違うだろう。具体的な地名は忘れたが、数箇所の地名を上げて説明してくれた。昔はなんでもないようなところが、外国人のおかげで有名になったりしているらしい。以前は閑散とした寂れた町だったのにと、感慨深そうだった。
 それにしても外国人頼りとは情けないものだ。身の丈にあった生産と消費をすればいいものを、何故もみ手をするのだろう。僕は何も持たないけれど誇りだけは持っている。外国人が消えた街を、大阪の人が楽しめばいいのだ。

 

 同時多発テロのファースト・レスポンダー(災害や事故で負傷した人々に最初に対応する救助隊・救急隊・消防隊・警察など)やサバイバーたちの健康状態はモニタリングされて、登録者数は89000人の中で9795人が(登録者の約11%)9.11関連の癌と診断された。
 癌の原因と考えられているのは、ビル崩壊により生じた有毒ダスト。ダストは粉砕したコンクリートや燃えたジェット燃料、焼けたコンピューターなどの機器類に由来しており、アスベストベンゼン、PCB、様々な化学物質(400種を超えると言われている)などが混入した、実体の知れない“化学物質のカクテル”のようなもの。約9万人の人々が、有毒ダストを吸引したと言われている。
 特に、癌に罹患しているのは、現在、平均年齢が約55歳となったファースト・レスポンダーたち。当時、米国環境保護庁は、グラウンド・ゼロの空気は安全だと発表していた。ファースト・レスポンダーたちもそれを信じて働き続けたわけだが、後に、空気は有毒なものであることがわかった。
 世界貿易センターヘルスプログラムのマイケル・クレイン医師によると、ファースト・レスポンダーたちは、一般の人々と比べると、癌に罹患する率が最大で30%も高くなっているという。特に、甲状腺癌や皮膚癌に罹患する率が高く、膀胱癌になるリスクも高い。 また、サバイバーたちも、非常に高い率で、乳癌や非ホジキンリンパ腫に罹患している。 (インターネット記事から要約)

 どこの国でも権力を握っているやつ達は嘘をつく。安全だと偽って、化学物質のカクテルを吸わせたのだ。その結果ガンになったのだから殺人ではないか。権力者だったら裁かれないのか。日本のアホノミクスを始め、多くの原発推進者たちも同じだ。今確実に進行している多くの人たちのガン化を、見て見ぬ振りをしているのだから。原発を推進しているやつらが死なない間に塀の中に入れなければならない。1万人近くの人々をガン化させたのだから塀の中しか居場所はない。人をガン化させて大金を得るあいつらを許すほど、庶民は金持ちではないだろう。貧乏人が大金持ちを許す。バカみたい。大金持ちは貧乏人を許さないのに。