今日訪問してきたあるセールスは、丁度大阪に被害をもたらした先の台風の日、滋賀県で会議をしていたらしい。僕は携帯を持っていないので、そういったときにアラームがなるのを知らなかったが、10人ほどのセールスの携帯がいっせいに鳴り出したそうだ。すると専務が「会議中くらいは消しとけ」と怒ったそうだが、アラームは消すことが出来ないのかな?そのあたりは僕は分からなかった。
 台風の東側に当たったので報道の通りかなり強い風雨だったらしい。その経験で、沖縄出張所の同僚に、今、南の海を西進中の大きな台風に気をつけろと忠告してあげたらしい。すると同僚は、「どうってことないよ」と答えたらしい。猛烈な台風に発達しそうなのに「どうってことない」と答えたことに驚いたらしいが、理由は「こちらの人間は大阪の人間みたいに台風の日に、外出したりしない」かららしい。だから安全なのだ。そう言えば沖縄の台風被害って意外と報道されない。安全に、やり過ごす術を知っているのだ。
 都会の人間は、頑強な構造物に守られているから、台風が特別なものでない人もいるみたいだ。そこで普段どおりの行動をしてしまうのだろう。僕ら海で育った人間が、川で泳ぐ術を知らないのと同じように、実際の知識はないのに。
 先人達の大きな犠牲のおかげで伝えられる生き延びる術を僕らは感謝しながら使わなければならない。世界一危険な国に住んでいるのだから、

白十字

 何回も何回もお礼を言われた。僕は1回でいいし、御礼の品物もいらない。でも、白十字の洋菓子はいつもながら美味しかった。
 何故そこまで感激してわざわざお礼にやってきてくれたのか僕には分からなかった。起立性調節障害は僕にとっては珍しい疾患ではない。ただ今回珍しかったことといえば、どの医療機関にもまだかかっていない状態で僕のところに来てくれたことだ。これは珍しいというより初めての経験だ。普通漢方薬は、まして田舎の薬局は、ありとあらゆる所に行って「仕方なく」やってくる所だ。ところがこの方は自分がかつて僕の漢方薬で快調になった経験があるので迷わずやってきてくれたらしい。
 ところが漢方薬を持って帰って1週間は効果を感じなかったので、20軒くらいの医療機関に、それも全て心療内科の医院に電話をかけたらしい。学校に行けなくなったから不安だったのだろう。ご他聞に漏れず、朝は起きられなくて昼夜逆転に近くなり、食事も摂りにくい。さすがに母親としては慌てるだろう。救急外来にも電話したらしい。ところが心療内科と言うのはよほどはやっているらしくて、全て2週間くらい予約が先になるらしい。そうしているうちに段々症状が軽くなり、具体的には起きる時間が1時間ずつくらい早くなり、ボーっとベッドにもたれることも少なくなり食事も食べ始めた。そしてついに昨日から学校に行き今日も登校したらしい。1週間過ぎた辺りから見る見るうちに元気になったってことだ。
 お母さんはこれで完治だと思ったのだろう。だから礼をわざわざ言いに来てくれたのだ。僕としたらもう少し念のために飲んだほうがいいのではと思ったが、僕はこちらから飲めとは基本的には言わない。もし復活すれば同じ薬を飲めば治る。
 お母さんは自分の経歴から、お子さんがてっきり気持ちを病んだと思ったみたいだが、起立性調節障害以外何物でもないと僕は思った。今回の出来事で僕が学んだことは、過敏性腸症候群についてのことではなく、なんて心療内科って流行っているんだってこと。20軒のほとんどが2週間待ちとは。お母さんがいみじくも言った。「心療内科ってお客さんが多いんですわ」

貴重

 貴重な体験をさせてもらった。
 大雨の中、赤磐市の普門院と言うお寺まで出かけた。毎年この頃に行われている和太鼓集団「GONNA」のコンサートを聴きに行くためだ。道中、臨時で修繕された堤防の決壊跡が何箇所かあり、普段水が見えない川なのに、運転しながら川が勢いよく流れているのをみて引き返そうかと思ったくらいだ。真備町があまりにも有名になったので、道中通過した町の水没はあまり報道されなかった。かつてはどんなに雨が降っていても気にしたこともないのに、さすがに今回の豪雨がトラウマになり、少しばかり臆病になっている自分がいた。
 貴重な体験はこの光景ではない。不謹慎かもしれないが、コンサートの、ある曲の時に、リーダーが平太鼓を持って観客の中に降りてきたのだ。今日はお寺の境内でのコンサートだから、元々狭い場所なのだが、それでも200人くらいいるはずの聴衆の中で偶然僕の傍に陣取って叩き始めたのだ。かれこれ10年以上和太鼓のコンサートに行きまくっているが、その距離50cmで打つのを見た、聴いたのは初めてだ。ご存知の方もいるかもしれないが、熟練した太鼓打ちは、1秒間で両手で17回打てるらしいが、当然彼はそのクラスだ。と言うよりGONNAのメンバーは全てその水準だ。人間離れした技と、そこから響く音に大感激だった。そして盛り上がった瞬間に僕は歓声を上げたのだが、自分の声もほとんど聞こえなかった。あの小さな平太鼓でも、プロが叩けば50cmの距離で叫び声を消すことが出来る。このことは衝撃的で体験してみなければ分からないことだった。職業柄彼らの耳の事が心配になったが、恐らく練習ではかなり音を消しているのではないか。それともプロのスポーツ選手が体を壊してまで頑張るのと同じように、耳を犠牲にしてまで頑張るのだろうか。
 もうこれだけコンサートに行っていると彼らも顔を覚えてくれて、一緒に行ったかの国の若い女性達と写真に一杯収まってくれた。日本の文化を僕は伝えたい。一生懸命演じる人たちを見せたい。「日本に来てよかった」の言葉は、僕には最高のお礼。それ以上何もいらない。

鼻血

 妻が僕を見て「おとうさん、鼻血!」と言った。自分でも珍しいことがあるものだとおもむろに鼻の穴付近を触ってみたが、血が出ているようには感じなかった。それでも妻が「もっと下」と言うから指をずらしてみると確かにぬめっとした感触があり、血が出ている事が分かった。実際に指に血液がついていた。慌てて洗面所に行って鏡を覗くと、鼻と唇の丁度真ん中辺りに1cmほどの傷があった。そこから血液が出ていたのだ。だから鼻血ではない。だとしたら何なのだ。
 実は昨夜、あまりの粋まで風呂に入っても髭をそらずに出ていた。そこで朝に電気かみそりで剃ったのだが、このかみそりが怪しい。実はこの電気かみそり、父が入院している時に、母に頼まれ買ったものだ。もう何年前になるだろう。10年以上かもしれない。父は亡くなったが、この電気かみそりはずっと僕のところにあった。でも僕はあまり電気かみそりは好きではないから、使ったことはない。昨日風呂に入れなかったのでふと思いついたのがこの電気かみそりなのだ。
 正直あまり切れない。安物だったからか、古いからかわからないが、とにかく気持ちよくない。最低限このくらいでいいかと言うあたりで早々にやめた。
きれいになった感覚はなかったが、さすがに短くはなったと思う。そうして台所に行った瞬間に妻に鼻血と言われたのだ。こんなことってあるのだろうか。電気かみそりで皮膚を削り出血するってことが。深剃りが出来なくて僕は電気かみそりを使わないのだが、十分深く剃れるではないか。身まで削っている。古いのか、使い方がまずいのか、何かの祟りか分からないが、珍しいことだと思う。
 身を削る電気かみそり、ホラー映画ではないが、もう恐ろしくて使えない。
 

謙遜

 なんと言う偶然だろう。或いは、何に導かれたのだろうと大袈裟に言っても自分の中では違和感はない。
 僕は初めて漢方相談に訪れた人には必ず身長と体重を聞く。インターネットとか電話相談が多いから、相手を直接見ることが出来ないことが多い。薬を作るとき、体格がいいのか、普通か、華奢なのかは大切な情報だ。ある数値を越える人には、大人の標準量の薬では薄過ぎて効かないし、逆の人には効きすぎる。だから体重は薬局には必須の情報だ。
 今日、ある患者さんの相談を受け、カルテに清書している時に、肥満度を計算機ではじき出した。いつもの作業なのだが、今日は計算機に表れた数字に目を見張った。何と、0,88888888888と8が続いていた。さすがにこの数字を見たら誰だって眼を見張るのではないか。11桁しかないからこの後何処まで8が続くのか分からないが、ひょっとしたら永遠に8が続くのではないかと思ったのだ。
 僕は薬剤師だけれど、元々は文系志望だけあって、この8の並びを不思議だとは考えずに、綺麗だと感じた。言い換えれば頭ではなく視覚で感じていた。きっとこの先も永遠に8が続くのかと思うと神秘的でもあった。そしてこのことをいつでも再現したくて、157cm 48kg、理想体重54kgを目もした。これで僕はいつでもこの8の永遠の行列を作ることが出来る。
 そして今このブログを書こうとして、さすがに少しは数学的な検証をしたほうがいいかなと思い考えてみた。考えるのは好きではないが、意外と簡単に8の行列の答えが見つかった。要は、割り算をしたときに、筆算でやるとよく分かるが、割った後の残りの数字が、一桁だけ下がって、割られる数字と一致すればいいのだ。具体的には48を54で割ると8あまり48になるのだ、それを又54でわるからまたまた8あまり48だ。これで永久に8が続くことになる。少し考えれば分かることだったが、仕事で唯でさえ少ない思考力のほとんどを使い果たし、これ以上頭を使いたくないのだ。
 こんな些細なことが美しく見えるのは、北海道で起こった地震がいつ何処で起こっても不思議ではない、明日はわが身と教えてくれたからだろうか。明日は来ないかもしれないと、気づかされたからだろうか。又一つ自然に対して謙遜になった。

ブレイン地震予報

 朝起きていつものように新聞を読んでいると、テレビを見ていた妻が報道内容の深刻さに気がついて僕に教えてくれた。「北海道で大きな地震があったみたい」と。僕は地震被害の映像を見てあることを一瞬にして思い出した。それは数日前に緊急として「1週間以内に、北海道で大きな地震が起こる可能性が高い」とメールで情報を受け取っていたのだ。1月に2回定期的に地震情報が入る契約をしているのだが、緊急の場合は臨時で情報が入る。この臨時情報は、(定期情報は日本中で毎日のように地震が起こっているのがよく分かり、それを言い当てているのかいちいち確認はしていない)はさすがに僕でも気になって、いつ何処でどのくらいの地震が起こるか覚えていた。その情報を頂いてわずか数日の内に予報どおり(場所と大きさ)のことが起こった。
 定期情報で、沢山の地震予報とそれに対する結果を毎回提示されていたが、ほとんど興味がなかったのは、予報を信じていなかったからだ。実はこの予報は妻が契約したもので、ただ僕のパソコンに入ってくるというだけのものだった。ところが今回のことで、確実に僕は信じる。もしこれで南海沖地震を予報されたら僕は必ず避難行動をとる。
 つい最近、100年前のフランス人の詩人兼外交官が「日本は世界でもっとも危険な地域」と評していたことを紹介したが、正にそれを証明している昨今だ。日本が嘘をつきまくっているから外国人が旅行や仕事を求めてやってくるが、これである程度減るのではないか。僕は大歓迎だ。日本人の若者達や就職できない人たちを丁寧にフォローして仕事につかせるべきだ。自分の仲間にしか金を回さないアホノミクスにそんな発想はないから、企業や外国に回している金を国民の財産を守るためのインフラ強化のために使えと、迫るべきだ。あいつが引退した後、それを持ってオリの中に入ってもらう証拠固めを志しある人たちには始めてもらいたい。血税を森友や加計に使うなど、この金がいくらあっても足りない災害の時代に打ち首獄門以上の犯罪だ。
 日本国中、次はわが身。僕らは平民ではない。

 

無駄

 「クスリより効く無駄ばなし」
 今朝毎日新聞に載っていた川柳だ。何となく分かる気もするが、本当はそれではいけない。無駄話が薬がよく効く助けになるのがいい。忙しい医師が、患者さんの無駄話に付き合えるかどうかは疑問だが、緊張が緩むならそれは体調にはプラスだろう。ターゲットを目指して邁進するクスリに期待するのは勿論だが、人の体はターゲットの部分だけではない。有機的につながった一つの体だ。大本営が痛みや苦痛のあまり緊張していたら、現場はもっと緊張して、病気もより深刻になる。
 どんな心模様でもクスリが正確に効いてくれればいいが、感情に左右されるのは日常しばしば経験する。恐らくリラックスしているときは、副交感神経優位になって、筋肉が緩み血流が盛んになるのだろう。薬はよく運ばれ老廃物はよく排出される。病気は治りやすいだろう。無駄話がむしろ必要話になる。
 僕は普通の薬局でスタートし、今でも昔ながらの普通スタイルを堅持しているので、無駄話のオンパレードだ。有用な話は知識不足で苦手だから、無駄に徹する。それでも有り難い事に、僕の薬局を無駄だとは世間様がまだ思っていないみたいで、何とか存続している。僕が幼い時に漁師の中で育ったおかげで「クスリ より効く無駄ばなし」を地でいけている。