足早に台風が去ってくれたおかげで、夕方には晴れ間も見えた。ついこの前まで7時に仕事を終えたらそのまますぐに中学校のテニスコートに出かけウォーキングをしていたのに、いまやもう真っ暗だ。ほんのわずかな間で日が暮れるのが早くなった。ウォーキングが出来る出来ないで時間を計っているから、季節の移り変わりの速さを感じる。
 街路灯がわずかに照らしてくれるから、中学校の駐車場をウォーキングすることにした。そこには何本かの大きな木があって、真っ暗な中でせみが一際大きな声で鳴いていた。僕にはそれは命を終える前の精一杯の声のような気がした。短い命を終えるセミ達の哀れを感じた。
 台風が落とした気温のおかげで、汗もかかず、気持ちのよい時間を過ごした。決して誰とも遭遇しない至福の時間だ。雨で落とし、風で吹き飛ばし、考えることをしないでいられる至福の時間だ。
 2階連続で台風の直撃を辛うじてまぬかれたのは、最早何かの計らいに感じる。運がよかった、運がよかった。やってくる人たちが多く口にする言葉だ。自分達だけが助かればいいという気持ちがあったら、その言葉は出ないと思う。明日はわが身、嘗て、そういう経験をした地域住民だから出る言葉だ。

経路

 前回の台風をまるでコピーしたかのように、同じ経路を通って台風がやってきている。今回の違いは、まだ南の海の上にいるはずなのに風が強いことだ。夕方から台風でしか経験できないような強い風が吹き始めた。なにやら大阪湾では今まで経験した中で一番の大潮に匹敵するくらいの高潮が予想されているらしい。大阪湾と牛窓は同じ瀬戸内海に面しているし近いから、牛窓も同じようなことが起こるのではないかと懸念している。
 そこで明日の朝は車を移動させておこうと思う。我が家の隣には、我が家とは関係ない駐車場がある。そこはこの辺りでは1メートル半くらい高い。薬局の前の駐車場までは水がきたことがあるが、そこより僕の薬局は1メートル高くて、我が家よりさらに1メートル高い。もしそこが高潮でやられたとしたら海抜3メートル近いところが高潮でやられたことになる。それはさすがに牛窓では歴史に残る高潮になってしまうからありえないだろう。
 ところで隣の駐車場は我が家のものではない。持ち主はある企業で、僕は断りをいれずに毎回使わせてもらっている。寛容な心の持ち主なのだろう、いまだ文句を言われたことがない。牛窓の人間はどうぞ大阪のほうに行ってくれと願い、大阪のほうの人間は、どうぞ名古屋あたりに行ってくれと頼み、名古屋の人はどうぞ東京に行ってくれと頼む。人間性が問われるが、怖いものは怖い。到底引き取ることは出来ない。台風は海水をかき混ぜるが、人の心もかき混ぜるみたいだ。

世界一

 「大津波、台風、火山の噴火、地震、大洪水など絶えず何か大災害にさらされた日本は、地球上の他のどの地域より危険な国であり、常に警戒を怠ることが出来ない国である」と書いたのは、95年前にフランス人の詩人であり日本駐在の外交官であったクローデルと言う人らしい。関東大震災も経験しているらしい。
 解説をしなければ昨日書いてもそのまま通ってしまう文章だ。現代はそれに放射能ダダ漏れを加えなければならない。これだけ揃った国によくも外国人があれだけ遊びに働きにくるものだと思う。もっとも日本政府の得意の嘘八百でだましているのだろうが、だまされるほうもだまされるほうだ。よほど無知な旅行者と働き手が来ていることになる。少し調べれば分かることだし、調べなくてもこんなこと外国人にも当たり前だ。
 僕の根拠のない勘だが、南海沖地震でオリンピックはなくなる。国家予算の何年分かが一気に破壊されてしまうから再起は不能だ、後進国どころか最貧国にもなりかねない。この期に及んでもアホノミクスは自分の地位にだけ執着し、国民の金をお友達と外国に分け与える。税金泥棒もいいところだが、国土を破壊された後の日本人の心の破壊も進んで、ついに打ち首獄門にされるかもしれない。
 汚リンピックだなんだかんだと言っている間に、半世紀以上前に作った構造物が崩壊を始めて、これが又人々の命を奪う。詩人の危険の中にこの古くなって手のつけられない、いや手をつけない構造物の危険も加えなければならない。
 世界一危険な国、久々に聞いた日本の世界一だ。

潮位計

 「2万円もするの、すごいじゃないの!」と驚いたら、驚いている僕に驚かれた。恐らく二十歳の頃から腕時計を持ったことがない僕には、2万円もする腕時計はかなりの高級品に思えた。僕がわざわざ興味のない腕時計の値段を尋ねたのは、腕時計に潮位計がついていると僕の目の前に、手首を持ってきて見せてくれたからだ。腕時計に潮位計?、それこそ何を言っているか分からなかった。すると男性は腕時計を外し、潮位計なるものを見せてくれた。なるほど、腕時計の上部に波の形をしたものがあって、波の山の部分に印がついているから今は「満潮」と教えてくれた。満潮の両サイドはなだらかにまるで山の麓のように広がっている。そこの辺りが干潮なのだろう。
 どうして腕時計で潮の満ち干きが分かるのか不思議だったので尋ねてみると、全国の何百箇所の内数箇所を選んで、ぞの情報が送られてくるらしい。僕はGPSか何かでリアルタイムで情報が送られてくるのかと思ったが、さすがにそこまでは進んでいなかった。
 ところで彼が何故そんなものを買ったのかと言うと、店員さんが当然口にした「つりの趣味があるのですか?」ではなく、台風シーズン真っ盛りの今、度重なる台風の接近で、かつての浸水被害のトラウマから逃れられないかららしい。母の薬局はそのせいで結局は潰したが、彼の家も床下浸水したらしい。ウツの漢方薬を時々取りに来る彼は当然気持ちは繊細だ。人より警戒心も強い。実際に台風の備えに関しては病気が似合わないほど行動的でもある。備えあれば憂いなしを地で行っているのだろうが、僕に言わせれば、備えありすぎて憂いだらけのようにも見える。

品性

 体操の女子選手が、体操会に物申している。一人マイクを持ち立ち向かっている姿を見て、人々はどう思っているのだろう。僕は、「やれ!やれ!」と声援を送っている。訴えている事が真実はどうか分からないが、若い人たちが完璧に理論武装して戦う必要などない。未熟こそがとりえなのだから血気さえ伴っていれば十分だと思う。どうせ年寄り達は、金と権力を駆使して潰しにかかるのだから、ルールなど持たなくていい。当たって砕けろではなく、当たって砕け!だ。
 それにしても最近ぞろぞろ出てくる不祥事の張本人たちの顔つきが悪いと思わないだろうか。今回の夫婦にしても、品のない顔をしている。品性と言うものが全く顔に出ていない。よくこんな人間についていくものだと思うが、若者達はその金魚にも又不信感を持っているだろう。保身のために容易に太鼓もちになるのが現代の世の大人たちだ。そんな姿を見て、若者は何故もっと怒らないのだろうと以前から思っていた。若者達は去勢された羊の群れに見えていた。一人の小柄な女性が権力に立ち向かう姿を見て同世代の青年達は何も思わないのだろうか。自尊心のなさに気がつかないのだろうか。
 AIロボットより価値を認められない時代がやってきた。ロボット以下の人間をどうしてこの国の政治が救うだろう。貧乏なくせに金持ちを支援するアメリカの大衆の愚をそのまま行く日本人の近未来は暗黒だ。もっとも、トリチウムを海に流して、より一層、放射能まみれにして自滅するか、東南海沖地震後進国に仲間入りするか、自滅の前にやられるに決まっているのだが。その時は世の若者も立ち上がるかな。

気配

 「中の下くらいです」こんなことを言われたら、多くの人は成績のことを思い浮かべるだろうが、成績ではない。僕が「自分が綾瀬はるかみたいな美人だから、周りの人が覗き込むのではないの」と尋ねた質問に対する答えだ。事実か謙遜かはさておいて、電話でいつも心地よくさせてくれる若い女性だから、心美人であることには違いない。
 後2割改善したら完治だと自己評価しているこの女性は、電車なんかで覗きこまれるという最後の壁の前で立ち止まっている。ただし、僕はそれが臭いのせいで覗き込まれるのではないことはすぐに分かった。話しているうちに、彼女は覗き込まれる相手を一度も見ていない。恐らく毎回電車に乗るたびに同じような経験をしているのに、一度も覗きこむ人を実際には見ていない。彼女が覗き込むというのは全て「気配」なのだ。気配は事実とは違って、全くの主観だ、だから都合のよいようにそれを事実化しようとする。自分の思う結論に、或いは前提に導く道具にする。
 そのことを彼女に話すと分かってくれたみたいだが、実際明日からの現場でどう彼女が対処するか分からない。もし勇気を持って周りを見回して、誰も覗き込んだりしていないことが確認されれば一瞬にして彼女はガス漏れから解放される。アホノミクスをはじめ多くの政治屋や高級疫人は別として、普通の庶民が、そんな悪意に満ちたことをするはずがない。行き交う人の多くは懸命に毎日必死で生きている名も無き庶民なのだ。

紙一重

 これぞ戦前の日本女性の手本のよう。と言って、僕は戦争を肯定しているわけではない。当時生きた人たちの戦争とは別の理由による人となりをうかがえるエピソードだ。
 ある女性が家族とやってきて最後に自分の症状を話し始めた。圧迫骨折後の回復が思うように行かず、大腿部の深部がなんともいえぬ痛みに襲われるらしい。痛み止めを飲んで何とかしのいでいるらしいが、漢方薬で何とか楽になりたいという要望だった。
 その痛みの原因を探っているときに女性が詳しく教えてくれた。何でも20リットル以上の水が入った容器を持ち上げたらしいのだ。その時にボキッと言う大きな音がしたらしい。「先生、本当に骨が折れたらボキッと言うんすわ」とその時を思い出したのか痛そうな顔をして教えてくれた。80歳を十分すぎた女性が、果たして20リットルの水を持ち上げるだろうか。聞けば背骨を一度疲労骨折している。経験者がそんな無謀なことをするのだろうか。なんでも日照り続きだった頃、畑の作物に水をやろうとしたそうだ。そしてその水遣りにも家での決まりがあって、亡くなった姑さんがしていたようにしたそうだ。僕ら素人に言わせば、何を縛られているのだろうと思うが、姑さんのルールを踏襲したらしい。それが完全に裏目に出て、さぞ痛かっただろうと思うが、その女性は、その後も畑仕事をしたらしい。
 先祖の風習を尊んだこと。若い者に迷惑をかけたくないから、自分でやろうとしたこと。戦前の女性なら当然持っている気概だ。話を聞いていて、やはり80歳を過ぎてもリポビタンの50本入りを持ち運んだ母を思い出した。老いてもまだ息子の役に立とうとする姿は、心配だったけれどいとおしかった。母は幸い、武勇伝の主人公にはならなかったが今思えば紙一重だった。