身勝手

 おそらく60年くらい前に見た光景ではっきりと思い出すことが出来るものが二つある。一つは、岸壁の茣蓙の上に寝かされた遺体。遠くから見ても、お腹が、まるで山のように高く膨らんでいた。夕方でシルエットのように見えた。夕食が食べにくかったのも覚えている。こうしたときにはご飯が喉を通らないんだと言うことも同じように結構鮮明に覚えている。
 もう一つは、護岸の捨て石の上で見つけた、真っ白の異臭漂う胴体。はじめはその臭いに誘われて近づいたのだが、子供でもそれがただものではないことに気が付き、大人を介して警察を呼んだ。結局、所謂腐乱死体だったのだが、海辺で暮らす人間にとっては、戦後まもなくだから珍しいことでもなかった。
 こんなことを思い出したのは、昨夜のニュースで、パレスチナの子供の泣きながらの訴えを見たからだ。恐らく小学生くらいの男の子だったが、彼はその小さな体で、爆弾で頭を吹き飛ばされた遺体を運んだそうだ。頭のない遺体をわずか10歳前後の子供が運んだと言うのだ。泣きながら懸命に説明していたが、世界のどれだけの人の心に届いただろう。いったいガザの人達は、どんなに恐ろしい経験を強いられるのだろう。僕が偶然体験した幼い時の恐怖の1000倍はくだらないだろう。
 欧米人の身勝手さに怒り心頭だが、何もできない。近くでデモでも企画してくれれば、ぜひ参加したい。

 


「自分・家族のため強くなりたい」 ガザ空爆で脚を切断された子どもたち
ラヤン・バズさん(13)は、イスラエル軍によるイスラム組織ハマスHamas)が実効支配するパレスチナ自治区ガザ地区(Gaza Strip)への空爆で負傷し、両脚を切断した。鎮痛剤の効果が薄れるたびに、苦痛のあまり涙を流す。 ラヤンさんは、入院先の南部ハンユニス(Khan Yunis)にあるナセル病院(Nasser Hospital)でAFPの取材に応じ、「義足はいらない」と語った。いずれにせよ、義足を手に入れることはほぼ不可能だった。10月7日にイスラエルハマスへの報復攻撃を開始して以降、ガザは封鎖されており、食料や水、燃料、医薬品が不足している。
「脚を返してほしい。お医者さんならできるでしょ」と、ラヤンさんは小児科病棟のベッドの上で絶望的な様子で語った。ハマスが実効支配するガザ地区の保健当局によると、同地区では戦闘開始以降9500人近くが死亡した。うち少なくとも3900人が子どもだった。
 ラヤンさんの母親は、ラヤンさんが負傷した空爆で、娘2人と生まれたばかりの赤ん坊を含む孫2人が死亡したと話した。出産したばかりだった娘を手伝うため家族が集まっていたという。遺体はズタズタだった。イヤリングや足の指から身元確認をしたと語った。
 ラヤンさんはいまも顔や腕のあちこちに傷がある。「友達は歩いて行けるのに私は歩けない。どうやって学校に戻ればいいの」と言うと、母親は「私がそばにいるから大丈夫。あなたにはまだ未来がある」と慰めた。
 ラマ・アガさん(14)と姉のサラさん(15)は隣り合ったベッドで、やけどの治療を受けている。母親によると、2人は先月12日の空爆で負傷した。15歳と12歳のきょうだいは亡くなった。ラマさんの髪は治療のため半分ほどそられており、手術とやけどの痕が見えていた。
「ここに搬送された時、看護師さんに起き上がるのを手伝ってもらった。その時、自分の脚が切断されているのに気付いた」とラマさん。「とても痛かったけど、まだ生きていることに感謝している」
「義足を着けて、医師になるという夢をかなえるために勉強を続ける。自分と家族のために強くなりたい」と語った。
 ナセル病院の院長は、多数の死傷者が出ている上にリソースが減っていることから、合併症を防ぐため、手脚を切断することが多いと説明した。
 緑色のサッカー用のトレーニングウエアを着たアハマド・アブ・シャーマーさん(14)は、松葉づえをつきながら、ハンユニスの廃虚と化した自宅周囲を歩いていた。アハマドさんは空爆で脚を負傷したが、いとこ6人とおば1人は死亡した。
 手術後に目を覚ました時、兄に「僕の脚はどこ?」と聞いたと振り返る。兄は「そこにあるじゃないか。麻酔の影響で感じないだけだよ」とうそをついた。翌日いとこから本当のことを聞いたという。
「たくさん泣いた。最初に頭に浮かんだのは、もう歩くことも毎日のようにサッカーをすることもできないということだった。戦闘が始まる1週間前にサッカーの学校に申し込んだばかりだった」 

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