楽観主義

 先生をして「これからは、かける言葉を変えないといけませんね」と言わしめた兵は結構優しくて穏やかな顔をしていた。どのくらいやせ衰えているのかと思っていたら、全くそんな気配はなかった。いやはやたいしたものだ。  80歳を越えてからガンの手術5回、腰と膝の手術それぞれ1回。それで尚この様子だ。もうほとんど化け物だ。久しぶりにやってきたからその極意を聞いた。先生が常套句にしている「お大事に!」を変えさせようかと言うくらいの極意を。  「いったん海に出たら、どんな魚がどのくらい取れるか想像するだけで楽しみなんじゃ。海に出たら病気のことなんかいっこも(少しも)考えん。だから毎日海に出るんじゃ。肺のガンを3回、肝臓と大腸を1回手術したから、もう手術なんていっこも怖くねえ。腰も膝も軟骨が潰れてと言うか、全然なくて、先生が車椅子の生活になると言うから、仕方なくやったけど、どうってことなかった。簡単なもんじゃ」  さすがに長距離は歩けないけれど、車を押せばいくらでも歩けるらしい。船は船長室に腰をかけていればいいから沖へ出られる。満身創痍なのに、気持ちが満身創痍ではないから、気持ちが明らかに肉体を鼓舞している。常人なら気持ちが肉体を引き摺り下ろすのだが彼は違う。沖に出たい一心が尋常でない体を作っている。  つい最近ブログでも取り上げたが、長寿の最大の原因は働くことらしいから、それを地で行っている。70年の漁師生活で一体どのくらいの人たちの健康的な生活に寄与したか。その貢献に対して、連続で見つかった病気は残酷だが、今こうしてまるで重病を経験した人には見えない天性の楽観主義を授かった。楽観主義など努力して手に入れられるものではない。遺伝子の中に組み込まれたものはなかなか変えられない。  天は二物を与えないというが、一物で十分のような気がする。その一物でさえももらえない者もいるし、手にしているのに気がつかない人もいる。歳をとるにしたがって、そうした一物を見つける力がついてくる。肉体以外は年齢を重ねるのもいいことが多い。自虐ネタではなくて。