ボブディランがノーベル文学賞を受賞したのが嬉しいのではない。当時同じような思想をもち生きていた若者が評価されたことが嬉しいのだ。世界中に、ボブディラン的に生きていた何億もの若者が評価されたのだ。半世紀の時が経っても、あの頃と同じように武器は作られ、消費=使われ、多くの人間が殺され、多くの独裁者気取りが国をあたかも私物のように動かしている。 あの頃強いものに抵抗することに慣れていたはずの若者達は、今どうしているのだろう。独裁者気取りの側に立ち、おこぼれをちょうだいしているのか、或いは諦念のうちに窒息したまま生きているのか。 今の時代にボブディラン的に生きている人がいるのだろうか。今の時代にボブディランが必要ないはずがない。今の時代にも、今の時代だからこそ必要なのに、あのような人を目撃しない。あのような人が生まれてくる素地が何処の国にも地にも無くなったのだろうか。大いなる力が情報を独占し操作して、人々の精神を去勢することに成功したのだろうか。
どれほどの道を歩かねばならぬのか 男と呼ばれるために どれほど鳩は飛び続けねばならぬのか 砂の上で安らげるために どれほどの弾がうたれねばならぬのか 殺戮をやめさせるために その答えは 風に吹かれて 誰にもつかめない
どれほど悠久の世紀が流れるのか 山が海となるには どれほど人は生きねばならぬのか ほんとに自由になれるために どれほど首をかしげねばならぬのか 何もみてないというために その答えは 風に吹かれて 誰にもつかめない
どれほど人は見上げねばならぬのか ほんとの空をみるために どれほど多くの耳を持たねばならぬのか 他人の叫びを聞けるために どれほど多くの人が死なねばならぬのか 死が無益だと知るために その答えは 風に吹かれて 誰にもつかめない