今日、涙をぐっとこらえる人を見た。  御自分が飲んでいる高価な薬を親に飲ませて、自分の薬を効果の低いものに変えると提案されたから「あなたが若いのだから、今までどおり良いほうの薬を飲むべきではないですか。親御さんには僕が考えられる限りの処方を年金で飲むことが出来る値段で作ります」と答えたときだ。一瞬にして目が充血し涙がにじみ出るのを見た。懸命にこらえて涙が溢れるのは我慢していたが、人前でなければ溢れさせていただろう。自分の体を犠牲にして親を優先する子供、そんな関係を築いている親子が一体どのくらいの割合でいるだろう。その逆さえも少なくなってきている世の中でとても珍しい。「まるであなたの家庭は江戸時代だ」と僕は場を明るくするために冗談を言ったのだが、結構家族の方が頷いていたから、あながち間違ってはいなかったのだろう。ただ照れくさいのか、その方は「わたしは、かわいそうがり屋なんです。同じ病気の苦痛が分かるから可哀想なんです。それならむしろ自分が苦しんだほうが楽です」と言った。かわいそうがり屋とは初耳だが、と言うよりその方がとっさに作った言葉なのだろうが、正にぴったりの言葉だ。親を、よそ様がそうであるより何倍も好きなのではない。その病気になった親がかわいそうなのだと、薬を変えてくれと申し出た理由を教えてくれた。  僕にはその方の選択は、その方のおうちでは当たり前のように自然なことのように思えた。そして造語を照れ隠しに使っただけのように思えた。僕が生きてきた年月の間にも、家族と言うものは崩壊とは言わないが着実に分解されてきた。その流れに乗らずに守り続けている価値観を垣間見た。それだからこそ滲む涙なのだ。  お役に立たなければ。