穏やか

 目の前も、振り返っても、ぐるりと見回しても、ほとんど、数字で言うと95%以上は緑だった。上手な人ならこの景色を緑色一色で描くことが出来るかもしれない。この施設を何度も訪ねて来ていて、緑の多い空気のきれいな所だと気が付いていたが、1時間近く母と駐車場の木陰で過ごしていると、改めて緑の多さに気が付いた。今年の夏が、天候に恵まれないことが、母を施設から連れ出すことを後押ししてくれる。  フェンスの下にグランドが広がっていて、スポーツ少年団が野球の練習をしていた。最初はキャッチボールの指導を大人たちがやっていたが、そのうち試合が始まった。なんとなく見ていたのだが、そのうち興味を持って見始めた。大人をそのまま小さくしたような感じで目の前に野球の光景が展開される。未熟ながらも、一つ一つの動作が意味を持ち、やがて魅せるプレーが出来る若者に成長していくのだろうと、想像を掻き立てる。この地区は甲子園にも時々出場する玉野光南高校のお膝元だから、指導や練習にも力が入るのだろう。かつて僕の義理のいとこが熱心に指導していたからもう数十年の歴史があるスポーツ少年団だ。  よくこんな田舎でこれだけの少年を集めたなと思うほど、子供たちがいた。小高い施設から眺めても数軒の家の屋根しか見えないのに。思えば僕が半世紀前に預けられていた頃から、ほとんど変わっていないのではないかと思えるほどだ。夏休みになると必ず母に連れてこられ、40日母の実家で過ごした。グラウンドの下を流れる小川でめだかをよく取って遊んでいた。それこそ野山を駆け巡って地元の子供たちと遊んだ。何の心配もない幸せな日々だったと思う。当時の僕みたいな少年たちが汗を流して野球をしている。それを老いた母親と僕が眺めている。珍しく今日だけは時間がゆっくり流れてくれた。多くの言葉を交わすことは出来ないけれど、二人並んで一つの方向を眺めていた。何が分かって何が分からないのか、いやいやほとんど理解できないのだろうが「男の子ばかりじゃな」と言われたときには淡い希望を抱いてしまった。もう痴呆が改善するなど期待もしていないはずなのに。穏やかな表情だけでいいと納得しているはずなのに。  帰り道、ある橋を鷹を腕に乗せて渡っている青年を車中から見た。訓練しているのだろうか、その手の人が意外と近くにいることに驚いた。テレビの中の話くらいの認識だったから。世の中には色々な人がいると言う場合、あまり好ましくない人に言うことが多いが、今日の青年はよい意味でその言葉を使いたいと思う。夏の休日、穏やかなり。