不思議

 ○○では僕などは生きづらいかもしれませんね。何せ、僕は船専門の鉄工所をやっていた祖父の孫で、物心ついたときから漁師の中で育てられましたから、まともな会話など出来ません。漁師はさすがに命をかけているからでしょう、物事を正面から捉えたり、語ったりしません。ほとんど逆の表現を使うのです。彼らが右と言えば本当は左を意図していたり、美味しいと言えばまずいのです。それでも会議で物事が決まっていったりするのですから、不思議です。主題について一言も言わなくても、決を採れるのですから不思議です。もともと彼らは人が苦手で口べたですから、何事も冗談にしてしまわなければ話しかけたり、言葉を返したり出来ないのです。外から見ていると気が荒いように見えますが、特に子供の時などは大人のケンカをよく見ていましたから、実は結構内気な人が多いのです。これは牛窓に帰ってから気がついたことで、それだからより一層漁師達が好きになりました。  変ですが、今ふと思い出したのです。僕は○○薬科大学という所に願書を出していました。運良く?その前に、ある大学に合格しましたから、結局は受験しなかったのですが、今思えばそこの大学にいって毎日○○を眺めていれば良かった思います。大学なんてどこも同じって、今の僕なら言えます。まして市中の薬剤師になるのなら、それこそどこでも良かったです。  あなたの属している認知症介護の会の文章は色々示唆に富んでいてとても参考になります。時に薬剤師として、時に息子として立場を変えながら対処していますが、現在机上の論理の修復中です。どの時点で罪悪感を飛び越えなければならないのか、その時が差し迫っていることを毎日感じています。