福袋

 嘗ては、何度も何度も繰り返していたことだが、3年も間が空くと全てが新鮮に思えた。 僕は勉強を兼ねないと余程のことがない限り出歩かなかった。まして県外となるとほぼ100%近くその原則を守っている。だから今日のように勉強会や講演会の出席を兼ねない出歩きはとても珍しい。ただ僕にはやはり大義名分が必要でかの国の子の希望を叶えるという理由を確実に準備していた。  最も親しくなった子がこの4月に帰国する。後進国の人が一度帰国して再入国するのは難しいと教えられたことがあるから、それが本当かどうか分からないまま、何か願い事を叶えてあげると言ったら、イルカを観たい、新幹線に乗りたいの二つを答えたから、一挙にその二つを叶えてあげられるコースを考え今日実行した。毎月のように神戸に行っていたから、須磨水族館と元町辺りの散策で両方の希望が簡単に叶えられると思った。案の定、簡単に立てていた計画よりももっとスムーズに内容も濃く楽しむことが出来た。 車窓の景色も駅の構造も3年前とは何ら変わらなかったが、その場に立ちながら復習しているようなもので前もって想像することはほとんど出来なかった。目の前に現れる景色を一つずつ確かめてかの国の子達を案内するのがスリリングで楽しかった。彼女たちはどうして僕が大都会の路地まで案内できるのか不思議がっていたが、当時何年も、僕は手本になる薬局を神戸を訪ねるたびに探し回った。その甲斐があって地理は自然に覚えることが出来たのだが、悲しいかな、参考になる薬局など1軒も見つけることが出来なかった。それどころか今日など大手のドラッグストアは見つけることが出来たが、個人の薬局など見つけることすら出来なかった。最早あのように地価が高いところではやっていけれないのだろう。いくら肩がぶつかり合うような人の波でも、素通りされては成り立たない。 この3年間毎日曜日を教会に費やして、ほとんど県外での勉強会出席を取りやめた。県外の勉強会出席は趣味と実益を兼ねて、又その結果が人を救うことにも繋がっていたのだが、何故か教会に通えばもっと多くの人を救うことが出来ると錯覚していた。今は教会は人を救うためにあるとは思えなくなったから、過剰な期待を寄せてはいない。だから嘗てのように知識に飢え、飛び回ってみたくなった。 「幸せ」と顔を紅潮しながら言ってくれたこの子の笑顔に優る福袋は延々と続く商店街の何処にも売ってはいなかっただろう。