外出する時は裏の引き戸から出ていく。築25年にもなると鍵もあたかもさび付いた如く、実際には未だ辛うじて光沢を放っているのだが、動きが悪くて、外から鍵かけをするのが並大抵ではなく、運に任すくらいな作業だった。ある時内装を請け負ってくれた人に、ついでにこの鍵も治してくださいと頼んだら、何度かガチャガチャと鍵を動かしていると思ったら「KUREの油を差せばいいんじゃないですか」といとも簡単な答えを返してきた。「何、数年間外出時に時間をとられていたあの動かない鍵は、単なる油切れ?」これは心の中で自分に言った言葉だ。 数日後ホームセンターでその製品を買った。意外と安くて300円しなかったと思う。さすがプロの指摘通り、長年の懸案があっと言う間に解決した。鍵をやり直すといくらかかるのか知らないが、倹約した金額以上の価値をその内装屋さんに感じた。  その後僕は我が家で多くのものを蘇生させた。トイレの開閉窓も数年ぶりに開けることが出来て、毎日新鮮な空気を入れることが出来る。風呂場の小窓も鍵をかけることが出来なかったのだが、今はスムースにかけれる。薬局のドアこそ全部作り直さないと駄目と言われたのに、油を差しただけで又自動扉の役割を果たしだした。次は何処にさしてやろうかと手ぐすねを引いて待っている。 たった300円足らずの油で家中が生き返った。まだ生き返っていないのはとうに油ぎれを起こしている僕だけか。いやいやもっと油ぎれを起こしているところがある。世間と言うところだ。人が無関心を装い、無関係というバリアを築かないと暮らしていけない世間と言う所だ。人と人との間の油が切れてぎすぎすと音がし、時に摩擦で発火し、お互いを傷つけあっている世間と言うところだ。