火に油

 ウツウツと暮らしている人に漢方薬を作る時は、どこに住んでいるかで作る日数を変えている。同じ市内なら僕は1週間分に決めている。症状の変化に従って処方を変えれるというメリットもあるが、僕とのつまらない会話で緊張をとってもらうという別のメリットもあるから。  この方はもう1年以上1週間毎に訪ねてきてくれる。当初は見るからに心がまいっていて、それに付随した肉体的な不調も多々あった。ところが漢方薬の力もさることながら、日常のつまらない会話を重ねることで力みがとれて、今はもう漢方薬も必要ないのではと思われるくらいだ。飲みたいらしいから敢えては切らないが、いつでも止めたらいいと言っている。最近彼女は、他人にとっては羨ましいようなことたが、結構負担になることがあった。元気になってきたからこその問題なのだが、それに対処しようとして疲れている。以前なら対処どころか無関心を装っていただろうが、今は理不尽な出来事には怒りを露わにしたりする。負ける場面しか想像できないような方だったのに、今は果敢に批判したりする。その女性が「気持ちが落ち着く薬も入れておいて」と僕に要求した。車で連れてきてくれていたお子さんが笑っていた。  今日もとっておきのケーキを食べてもらいながら20分くらい話をした。家庭に問題を抱え、敵でも出来ている方がはるかに元気だ。薬などどう見ても必要ないし、人より元気に見える。怒りを少しは抑えたくてあのような希望を言ったのだろうが、僕としては今の状態の方がいいように感じた。敢えて聖人君子みたいな道徳心を求める必要もない。そんなものを求めて本当に心を病んでしまったら取り返しがつかない。その道では評価されるかもしれないが、その道で生きていける人など滅多にいないのだから、多くの凡人は不完全を抱え未熟にこちらの道で生きていけばいいのだ。その道も、あの道も駄目。この道でいいのだ。 薬局に入って来るなりまくし立てていたのに、20分も話をするとさすがにスッとしたのか落ち着いてしまった。「何処でも話せないから、先生に聞いてもらう」とすがすがしい表情になっている。この女性は落ち着いたりせずに、少し戦闘モードの方が生き生きとしていることが分かった。だから調剤室から出てきた僕はその親子に言った。「火に油を注ぐような薬を今日は作ったからね」