見ざる聞かざる

 何処かで見ていたのだろう、訃報を伝えるニュースの画面で見た顔には記憶があった。ただその人がどんな肩書きで、どんな仕事をしていたのかも知らなかったし、ましてその職業にかける想いなど全く知らなかった。悲しいのはいつも亡くなってからの報道でその人の業績や人格などを知ることだ。こちらに知識も好奇心もないから、正当な評価を出来ていなかったことを悔やむことばかりだ。 戦場に飛び込む女性ジャーナリストがいたこと自体知らなかった。戦場で無惨に殺される女性や子供達、あるいは傷つけられる女性や子供達を撮り続けることで、平和を呼び寄せることが出来ると信じていたらしい。あの砲弾の下に展開される日常や非日常を伝えることで、争わないことの価値を世に伝えたかったのだろう。元々清楚な顔立ちのように見えたが、その想いや業績を知って、より崇高に見えてしまう。  それに比べて脂ぎった見にくい顔のオンパレードはどうだ。世の中の汚物を集めたような世界に居心地よく住んでいる寄生虫みたいなものばかりだから醜いのも当たり前かもしれないが、清廉とか崇高とかのかけらもない奴らにこの国の将来を託すなんて、まるでアマゾンの密林の中を素足で歩いているようなものだ。少しは真面目に、少しは人の役に立とう、少しは優しく、少しは親切に、少しは勤勉に、そんな道徳の初歩さえなくしてしまいそうだ。いやいやもう充分そこから逃げ出した人を大量に作っている。たった一人の勇敢で崇高な女性の死で繕えるほどのほころびではない。 見ざる聞かざるで我が身を守り我が身を滅ぼす。