紙袋

 懸命に我慢しても流れてくる涙を悟られたくなかったので、妻や娘達に話しかけられても返事をすることが出来なかった。  二重以上ではないかと思われる老婆が-と言うのはほとんど視線は真下の地面に向いているように見えるから-手押し車でやって来た。薬局の前に到着してからなかなか入ってこない。珍しく大きなビニール袋を積んでいて、その中から何か取り出そうとしている。いずれ入ってこられるだろうと用事をしていたら、案の定随分時間を経て入ってこられた。手には紙袋を持っていて、それをくださった。「アジサイ牛窓にある特別養護老人ホームの施設名)に入ることになりました。長い間お世話になりました」と、元々お辞儀をしているような格好なのに、そこから又頭を下げた。僕が牛窓に帰った頃から一人住まいだった。当時は公の機関に勤めていてた。どういう理由があったのか、又どういう意志が働いていたのか知らないが、独身だった。あれから30年以上たったから、その頃は定年前くらいの年齢だっただろうか。その後半年に一度くらい買い物に来る程度のつき合いだったが、この数年一挙に歳をとって、骨粗鬆症だろうか背丈が僕の半分くらいしかないと思わせるほど縮み二重になってしまっていた。特に昨年からはホームヘルパーの介助なしでは買い物にも来ることが出来なくなっていた。 僕としては、わざわざ特別養護老人ホームに入ることを告げに来てくれる関係には思えないが、敢えて言いに来てくれたことが、最後のお別れのように聞こえた。僕に紙袋を渡した後、紙切れをとりだして何かを確認していた。偶然書いていることが見えたのだが、10数人の名前が書かれていた。主に近所の人達の名前で、一瞬見ただけで全員分かった。これからその家々に挨拶をして回るのだろう。  恐らくあの体調でホームに入ればもう二度と娑婆には帰ってこられないだろう。僕はそうした社会との決別の挨拶回りに見えた。もっと言えば死への旅立ちの挨拶回りにも見えたのだ。小さな今にも折れそうな身体で、覚悟の挨拶のように見えたのだ。それが哀れで、別れる時には正視に耐えられなかった。偶然アジサイの薬は僕の薬局が作っているから、娘夫婦はホームで会うことがあるだろうが、恐らく僕はこれが最後だと思う。一人寂しく老いたのか、あるいは僕ら他人には分からない幸せ多き人生だったのか知りたかった。そして後者であれば僕は喜んで送りだすことが出来る。買い物に来るたびにひつこいくらい「ありがとうございます」を繰り返していた人だから、何故か僕は前者の確信を持っている。だからこれからも続くだろう孤独に涙が止まらなかったのだ。 老いるとは辛いものだ。いずれ誰にも等しくやってくるこの試練の日のために、人は真面目に生きるべきか、それとも快楽をむさぼって悔いを残さないべきか色々な考え方があるだろう。人生のスタートから周回遅れの人が増えているこの世の中で、前者であれとはとても言えない。