ニアミス

 危ないところだった。ニアミスもいいところだ。 旦那の方が出て行ってから、10分と経っていないのではないか、元奥さんが入ってきたのは。旦那は僕の友人、奥さんは漢方薬大好き人間。どちらとも縁が深くて、どちらも嫌いでないから、もし鉢合わせでもしたら、いつもよりまして八方美人の粋を尽くさねばならなかったところだ。もっともそれは得意だから何とかなったかもしれないが、さすがの僕でもそんな場面に出くわせば、ほっぺたの一つでも痙攣させていたかもしれない。  別れても尚同じ小さな町に住んでいるからお互い遭遇することはあるだろうが、運良く僕の薬局の中では今のところない。別れる随分前から奥さんに相談を受け、別れればいいじゃないと進言していたが、実行までには数年の歳月を要した。メリットデメリットを考えていたのかもしれないが、離婚にデメリットを見つけることがついに出来なくなっての決断だったのだろう。その後の解放されぶりで決断が正しかったことは証明されているが、気を病んでの不調は気を病まないと言う環境が最も有効な薬だと教えられた。漢方薬も解放感には勝てない。  全く家庭人として失格だった旦那の方も、叱責されることもなくなって、自由に暮らしている。女性がますます地位を固めたのとは逆に、何もかも失ってしまったが、それも又彼らしい。ぎこちない旦那役を降りて本来の姿に戻ったのかもしれない。形通りの幸せを求めて、型の中にはまりこむのに得手不得手がある。彼はちょっとだけ不得手で、いつまでも続けられなかっただけだ。ただそれは人間失格ではない。  今も多くの人がぎこちない演技を続けている。朽ちた床の回り舞台で懸命に役柄を演じている。ただ、監督もいない田舎芝居の役者達に贈られる拍手はない。