子育て

 僕の好きな光景が又一組やってきた。よい家庭を簡単に見分ける方法でもある。滅多にないから余計目立つのかもしれないが、こちらまでほのぼのとした柔らかい空気に包まれる。
 思春期の子供は難しいなんて気取った大人のようなことは言いたくはない。大人に成長する過程で辿る道は、誰にも舗装はされていない。感情の起伏が放置されたままの落石のように平坦な道行きを阻害するものだ。だからといって迂回は許されない。乗り越えなければならないものとして思春期は意外と残酷だ。  未熟で混乱した精神をもてあます世代の娘とその父親が、一緒に薬局にやってくることがそれこそ時々ある。自立の一歩手前で足踏みをしているが、父親はその事を否定しない。口数は少ないが可愛くて仕方ないことは、距離感を懸命に保とうとすることで逆に分かってしまう。不器用な父親の距離感に、娘が無防備に浸っている。醸し出す愛情は、ぎこちない言葉の交換を昇華させ、僕の心を真綿で包む。 いつも追い立てられるように結果を求められて育った子供達は、結果や効率から解放されるべきだ。親を満足させる道具ではない。子供を所有してもいけない。一時あずかっているものと表現する人もいるが、最大の援助者になるべきだ。いつもおおらかに、遠くから眺めていることが出来る父親にはその資格がある。照れることなく父親と薬局に入ってくる女子高校生が、何とも言えぬ安心感に包まれているのでよく分かる。  孤立無援の子供から直接健康相談を受けることがある。制約が多すぎてよい結果は難しい。できるなら、この父娘のような関係がそこかしこでも眺められる景色になって欲しい。正しい愛ほど、簡単な子育てはないのだから。