坂道

 ○○ちゃんへ  何故か分かりませんが、僕みたいな田舎の薬局に多くの若者がメールや電話、あるいは直接訪ねてきてくれます。僕の年齢になると、もう身体中が悲鳴を上げてがたがたなのですが、ただ、色々なことを当然年齢の分だけ経験していますから、現役で若者である人の苦労や苦しみが、手に取るように分かってしまうのです。苦しんで当然のもの、苦しまなくても良いものなどを選別できる能力くらいは得たのかもしれません。もう僕など人生を加速度的に転がり落ちていますから、毎日が楽で楽で仕方ありません。何の目標も喜びもありませんから。でもこんな僕でも、あなたの年齢の頃はそれなりのやらねばならないことがあったので、結構辛くて、面白くない日々を送っていました。坂道は上っているときには辛いですね。まだ何か希望らしきものが広がっている青年期には、毎日が上り坂なのです。しんどくない下り坂になれば、人生はもう終わっているのです。  青春って結構辛いことばかりでした。余り楽しい想い出はありません。あなたが今空虚な日々を暮らしているのは、人生という名の坂道を登っているからなのです。苦しい日々があることを否定しないでください。青春とは苦しいものなのです。だから多くの作家や、詩人、絵描きなどが青春時代によい作品を作れているのです。あなたも不本意に経験させられたことが、何かの創作のエネルギーの材料にいつかなります。苦しんでいる人にほんの小さな言葉をかけるにしたって、今回のような原体験が必要なのです。  僕も数十年前貴女と同じ苦しみを体験しました。娘も十数年前貴女と同じ体験をしました。僕はあの頃毎日そっと校門を抜け出たからこそ、今幸せでない人達の声を聞くことが出来ます。もしあの頃のことがなければ、田舎の優等生で、鼻持ちならない人間になっていたでしょう。僕は青春期の大きなブレーキに感謝しています。娘も同じなのではないでしょうか。高校には2年の秋から行けませんでしたが、どうしても薬剤師になりたかったみたいで、熱心に塾だけ行っていました。毎日僕や妻が往復2時間送り迎えしていました。僕は、娘が入試会場に入れることを最終目標に世話をしました。それさえ出来ればしめたものです。授業なんて受験に関係ないものが一杯だったのですから。こう作戦を練って毎日小さな塾で気楽に過ごしていたら、3年生のいつからか授業に出るようになりましたが、僕は無理して出なくてもいいよと言っていました。今は薬局2つを掛け持ちで漢方の勉強をしています。病院の前で小さな薬局を作れば経済的には簡単に生きていけれるのに、その道には全く興味を示しません。あの頃の苦しみをそれこそ人助けのために使おうと思っているのでしょう。あの頃があるからこそ彼女にはその選択があるのだと思います。  ○○ちゃん、あなたはとても聡明な方のようですが、それでもまだ10数年しか生きてきていません。原体験はどうしても少ないですね。だから一人で解決できるものは少ないです。他人に、言葉に出して発信し、その言葉を眺めて貴女自身の心を客観的に見つめたらいかがでしょうか。力んでも解決しないことはいっぱいあります。逆に投げ出せば解決することだってあります。僕の大好きなフォーク歌手の歌の中に「人生はダラダラと続いている冗談なのさ、それもとびっきり質(たち)の悪い奴さ」という歌詞があります。僕は苦しいとき学生の時からこの言葉を良く思い出します。なんだ、冗談だったらそんなに頑張らなくたっていいではないかと。  僕も、娘も、あなたも、きっと誰もが失敗体験だけが本当に困った人には役立てるのだと思います。あなたの今の苦しみは絶対無駄ではありませんからね。娘が治りかけた頃良く言っていました「人生に無駄なことなど何も無い」と。あなたにもその言葉を贈ります。大好きな歌詞と共に。 ヤマト薬局