雑誌

 紙袋から、鮮やかな表紙の分厚い雑誌を数冊出して見せてくれた。どれもオートバイの雑誌で、彼女がどの雑誌にも載っているというのだ。なるほど、彼女が教えてくれる箇所を見ると、オートバイにまたがっているところや、オートバイの傍に立っているところが結構大きな写真で載っていた。ある雑誌は半ページ全てが彼女の写真と紹介記事だった。 若い女性が乗るのだからといって、可愛いオートバイではない。写真を見て驚いたのだが、半端ではない。間違ったら申し訳ないが、中級免許で乗れる最大のものと言っていた。400ccのエンジンと言っていたと思う。写真で見たオートバイは、小柄な彼女がまたがっているから余計巨大に見えた。重量が250Kgだと言うから倒れたらまず起こせないとも言っていた。寒いから車で来たというのが残念だったが、次は大型免許を取ってハーレーに乗ると言っていた。  土曜の午後で、いつもにまして暇だったので1時間以上テーブルを挟んで話した。半年以上前にもう漢方薬と手が切れているから、久しぶりに訪ねてきてくれたことになる。2週間毎通って来ていた最後の頃、オートバイの免許を取りたいと言って教習所に通い始めていた。念願の免許も、オートバイも手に入れていたのだ。それにもまして手に入れていたものがある。それに僕は気がついてとても嬉しかった。  ある体調不良で通ってきていたのだが、人なつっこいところもあるし、人が苦手なんだろうなと思わせるところもあった。僕が相手だから、警戒心がなかったのか、体調のこと以外に恋人との別れなども相談を持ちかけられた。僕に相談を持ちかけたら最後、ほとんどの人が別れる。彼女も例外ではない。世の中いくらでも良い男や女性はいるから、別れたらラッキーくらいの助言しかしない。苦労して修復する必要なんかない。見せかけの繕いに先はない。単純明快だ。彼女には、恋愛でくよくよする姿より、オートバイで大山目指して突っ走っている姿の方が似合っているように見えた。その方が遙かに健康的だ。病気だって治ってしまうだろう。  案の定、彼女は人と接することが怖くなくなったと言っていた。むしろ、今までとはまるっきり積極的な女性に見られるらしい。なるほど写真に写っている彼女を見たら誰もがそう思うだろう。だけど彼女自身がその変化を認めているからすごい。400ccの爆音は、人間まで替えてしまうのだ。マフラーを爆音がするのにわざわざ替えたらしい。自分の存在を車に知らしめる意味も大きいらしいが、音自体も楽しみたいと言っていた。近所に迷惑を掛けると家族が言うらしいが、嘗てならそれでも乗る彼女ではなかった。自己を主張とまでは言わないが、自分を大切にすることを優先している彼女が嬉しかった。  この程度の僕だから、人生でやり残していることはない。やったことも少ないが、残しているものもない。ただ、オートバイにだけは、乗ってみたかった。原付には浪人時代乗っていたが、スケールが違う。学生時代はお金がなくて、結婚してからは子供のために交通事故などでは死ねないと思い、最近は体力気力が衰えて、結局やり残してしまったが、若い彼女がそんな僕の宿題を軽々と片づけてしまったことに羨望を感じる。僕の漢方薬を飲んでくれている人達が、彼女のように、夢をかなえる、いや、衝動的と言った方がよいか、行動する動機に恵まれることを期待する。若いって計算尽くではなく、感情のままに行動しても許されるのだ。勿論他者を傷つけないという最低条件は満たさないといけないが。想い、体力、使い切らなければもったいない。いずれいやでも枯渇してしまうのだから。 若いときは本当に女性と接する機会が少なかったが、今は多くの若者が訪ねてきてくれる。テレビのスイッチを入れるたびの失望を、彼女達が希望に替えてくれる。素敵な女性は一杯埋もれている。一杯埋もれている素敵な男性達との実りある出会いがあることを望む。