写真

 2枚の写真を比べながら、同一人物には見えない。勿論同じ青年の写真だから、同じような顔かたちをしているのだが、印象は全く異なる。1枚は去年の夏、山陰から牛窓経由で上京したときの写真。もう1枚は、今日、東京から古里に帰る途中で寄ってくれた時に写した写真。わずか半年でこんなに印象が変わるものなのかと不思議だった。  変わったのは、風貌だけではない。なるほど坊主頭から、髪がごく普通の青年の形に変わったから、それだけで柔和な印象になったのだが、出てくる言葉も、建設的な言葉が多く悲壮感はすっかり影をひそめていた。東京で接客業も経験し、職場の仲間と親しくもなり、職業と言うものに関して寛容になっていた。働くことの意味も楽しさも彼が口に出すことだけで新鮮に響く。価値観さえわずか半年で変化したのではないだろうか。元々しっかりした目標に向かって努力していた人だが、考え方に若干の遊びが出来たような気がした。生一本では、柔軟性に欠けすぐに折れてしまう。  自分がもっとも苦手な現場で治す。選択しなければならないときは、しんどい方を選択する。今日彼に伝えた僕の言葉。しんどければ避難しろと言う次元は彼はもう十分に超越している。これから彼にとって必要なのはその二つのこと。十分理解して、強くうなずいていてくれたからきっとやり遂げるだろう。僕のお腹の薬よりよく効くに違いない。彼が目指しているのはかなり難しい試験で、2次は面接らしい。坊主頭だけには戻さないでと彼に言ったが、この注文こそ最高のプレゼントになるかもしれない。だって、僕が面接官なら7月の人物は落として、1月の人物は通すだろうから。