獣道

 ただカメラで群衆の姿を映していた人を、後ろから虫けらのように撃ち殺す。そんなことが、まるで煙草に火を付けるがごとく、何気ない日常の出来事と同列に許される国で、数万人が台風で死んだり行方不明になっている。あの時はやたら目立っていたあの職業の人間の姿は、被災し、途方に暮れる住民達の中には見出されない。どこにいて、何を守っているのだろう。銃の引き金は引けても、住民を守ることは出来ないのだろう。いやいや、最初からそんな意味では存在していない人間達だ。  志を、命を銃弾で抹消された国に、援助する。救いの手を待っている人達に、本当に届くかどうか検証できる保証がないのに物資を送る。憤りと空しさが混在する。こんなに歴史を重ねてもまだ、家畜のように扱われる国がある。人は衣服をまとい、言葉を喋る家畜ではない。家屋につぶされ、高潮にのまれ窒息するために生まれてきたのでもない。  人の道を踏みにじる人間が支配するところで、人の道を通さ無ければならない不条理を、人の道だから受け止めて、人の道のように振る舞わなければならない。いくら獣道が誘っても。