ぬかるみ

 雨上がりのテニスコートは水を一杯含んでいて、コートの外側を歩くのも気が引ける。きれいにならされたコート内にも水たまりが出来ていた。テニスコートの周囲には、ボールが飛び出さないように高くネットが張られている。僕はネットのすぐ下を歩くことにした。そこには草が手入れの行き届かないまま生えていて、歩いても全く足を取られることはなかった。草が生えていないところは、1歩踏み出すごとに滑ってしまうので足を取られる。ただ歩くだけでは使わないだろう筋肉の動きを感じた。  草の上を選んで歩くのは気持ちよかった。ちょっとした変化が日常のウォーキングとは趣を異にした。何回往復しても草の上は足跡を残さないし、足を取られて滑りそうになることもない。名もない雑草だけれど、テニスコートにまかれた砂の上にしっかりと根を張り、僕の体重を難なく支える。良きにつけ悪しきにつけ、生命力の旺盛さの例えにしばしば使われることが多いが、流れるような砂地の上にしっかりと根を張り生きている姿には改めて驚かされる。木々や草が生えない荒れた山が最近の大雨でいとも簡単に崩れるのも納得がいく。  幸運にも、僕が毎日接している人たちも名もない雑草の人ばかりだ。名誉も肩書きも巨万の富もないごく普通の人たちばかりだ。その人達が暮らす共同体の中ではしっかりと存在し、絆で結ばれてはいるけれど、傷つけはしないし、鼻も高くない。咲き誇ることもしないし、他者を卑しむこともない。雨が降れば大地はぬかるみ、水たまりも出来る。そんな当たり前のことが日常の体験から消えている。人間のような動物が、人間のような人間になっている。