大山

 バスの運転手を買って出てくれた柴田寝装店の店主は、朝ふと思いついてスーパーカブを走らせ、蒜山まで走り、自動販売機のコーヒーを飲み、そのまま帰ってくるような独特の趣味を持っている人だから、色々な所を訪ねていて、蒜山なども知り尽くしている。そんな彼をして「今年は本当に雪が少ない」と言わしめるくらいの暖冬なのだろう。僕は初めての場所だから比較するものがない。ただ時折耳の空気を抜かないと気圧の変化についていけなかったから、相当高いところまでやってきているのだろうことは分かった。ただひたすら登ってきたが、急な勾配を登ってきたわけではないから、どの程度かは想像が付かない。ただ、いわゆる蒜山に着いた時にはさすがに緑深い山の背後にまるで水彩画のように雪をかぶった山々が連なっていたので、瀬戸内に住む僕にはまるで別世界の景色で感動を隠せなかった。もっとも、20人のベトナム人女性たちの歓声に比べれば、抑制の利いたものだったが。
 僕は知らなかったのだが、蒜山は大山の麓といってもいいような位置関係にあるらしい。なるほど柴田さんがちょっと迷った挙句教えてくれた大山はひときわ高く、雪もたくさん蓄えていた。岡山県の高校は、僕の母校もそうだが夏に大山の縦走をする。雪を蓄えても隠しきれない山肌はねずみ色で、それがより大山を険しく見せる。僕の同級生はよくも縦走したものだと感心した。(恥ずかしながら僕ら不良たちは勉強すると言って遠足に参加せず、自主勉強をしていた・・・ことになっている)しばし大山を見上げながら50年前のことが蘇った。
 昨年までベトナム人を連れて行っていた四国の雲辺寺スキー場と違ったのは圧倒的に働いている人たちが親切で友好的だったことだ。恐らく地元の人ばかりで、若いアルバイトと思しき雲辺寺のスタッフとは違っていた。当日混雑していなかったこともあるが、世話係り以外になんでこんな年齢の人間がスキー場にいるだろうという疎外感を味わいそうな僕に、親しく接してくれ、蒜山や近辺のことを色々教えてくれた。瀬戸内に暮らす僕には全てが新鮮だった。海辺とは違った生活の営みをし、僕らと同じように故郷を愛し、僕らと同じように故郷の発展を願う気持ちを共有できた。
 わずか4時間の滞在だったが、きれいな空気を吸い、親切なスタッフ(若い人から僕ら世代まで幅があった)の人たちと巡り合い、バスを借りてまでやってきたことが報われた。別れ際に、いちばんよく話した男性が残念そうに僕に言った。「また春にでも来てください。本当ならちょうどこの大きな木の上に大山が見えるんですが、今日は雲ですっぽり隠れています」